薬師如来と十二神将
奈良の新薬師寺に行ってきた。
元々少なくなってる観光客のうえに、東大寺からは少し離れているので、わたしひとりでゆっくりと拝観することが出来た。
10年ぶりぐらいの久しぶりの拝観となった。
そこで感じたことを書いて見たい。
新薬師寺は薬師如来様が中央に鎮座されていて、周囲を360度取り囲むようにして等身大に近い大きさの十二神将が守るという、ビジュアル的にもとてもかっこよく美しい仏様を拝観出来る。
この十二神将は12の方角を守っていて、干支の守護神でもあり、自分の干支の大将様の前にはろうそくの灯を上げることも出来るようになっていた。
静かで大きな薬師如来様を守る、大将たち。それぞれが固有の武器を携え、怒りや気迫を露に絶対に守る!という意思と気概を携えた大将たちと静かな如来様の対比は本当にドラマチックでフォロジェニック。漫画的でもある。どの角度から見ても絵になるので、うっとりと見入っていた。
そして、こんなことを考えたのだ。
わたしは社寺仏閣巡りは好きだけど、由来とかあまり読まず、空間を楽しませていただくだけなので、不勉強なのだ。なので、あくまでわたし個人が感じたこととして。
薬師如来様を背に取り囲んで守護している十二神将というポジションなので、つい戦隊ものの図式のごとく、穏やかで優しい薬師如来様を守る大将たちと思いそうになるけど、十二神将たちは、薬師如来様が弱いから守ってるわけではなく、この十二神将たちは薬師如来様の存在に含まれるものなのだ。薬師如来様は、ほんとうは守られる必要もない。悪などはねのけられる。悪を自ら跳ねのけられるという現象面の現れとして、十二神将を置いているのだな。
如来様の中には静かで優しい穏やかさと、強い力で悪を絶つパワーの両方が内包しているんだけど、とりあえず人々からわかりやすい守護のポジション与えるから、そこはよろしく。みたいな。
そして、本当に守っているのは民、民衆をお守りいただいているのだ。
仏や神の世界ってただ穏やかで気高く清らかであればいいというだけでなく、意志の強さ、穢れをはねのける力も同じくらい持っているべきものなんじゃないかと思う。
わたしも、心の世界や精神世界が好きで、清らかさや穏やかさの方にばかり目が行きがちだけど、現実を生きる時に心の中にいい意味での強い武器、魔を払って突き進む剣のような心が必要なんじゃないかと思った。
そして、それはきっと、わたしだけじゃなく、今の日本人みんなに必要な事。心の中に争いのための武器ではなく、自分の意志や信念を保つための剣を持つことが必要なんじゃないかと感じた。
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