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未完の街、ブカレスト
ブカレストの街並みはどのような印象か。そう問われたならば、私は「パリと平壌を足して2で割ったよう」と答えるだろう。平壌は映像でしか見たことがないが、現地で肌で感じたブカレストの印象はまさにこの通りだった。
ブカレストを歩く
かつて小パリとも呼ばれたバロック風の街並み。大通り沿いのもったいぶったモニュメンタルな建築物たち。かと思えば出現する、装飾もそこそこな箱のようなビル。そして中世からタイムスリップしてきたような教会たち。これらが渾然一体となっているのがブカレストである。この街の風景を一言で定義するのは難しい。
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一番大きな爪痕を残したのが社会主義時代であることは間違いない。チャウシェスクが人民の館とその正面の統一通りなどを作り上げた際、「邪魔な」街の区画は不運にも丸ごと蒸発したわけだが、(西側の声にも押されて)一部の教会などは何と建物そのまま移動させたという。
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そうして、チャウシェスクのモンスターシティが出現したその横で、教会は共産主義チックなアパートに取り囲まれた。さらにその横では、戦争と地震と共産党を部分的に生き延びた古い街は、共産党による強制的な「再分配」に起因する所有権問題から、補修もされずに朽ちていく。
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こうして、ブカレストはカオスとなった。
果たしてここは万人が観光に来て楽しめる街なのだろうか。クラクフやヴィリニュスのような整った旧市街とは異なる世界である。「ブカレストはつまらない」と言う人を責める気にはなれない。
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しかしせっかくならば、この街の面白い面に目を向けたい。古い街と共産的世界との共存は他の旧東側諸国でも見られる。しかし、ここまで劇場型の街づくりは他ではなかなか見られないかもしれない。ブカレストはあまり美しくはないが、面白い。
あまりに巨大な置き土産
ブカレストの街を語る以上、チャウシェスク建築の代表である人民の館、今の議事堂宮殿を避けて通ることはできないだろう。
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内部の見学ツアーに参加できる。一時間ほど見て回って、見れたのは全体の「6%かそこら」と言う。地下も含めて15階建、部屋数は1000以上。スケールが大きすぎてイメージがつかない。とりあえず掃除は恐ろしく面倒そうだし、光熱費の請求書は一度見てみたい。
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建設時のコンセプトは「材料はすべて国内から調達」だったらしい。国内に産業のなかった絹を調達するため、国民を動員して蚕を育てるところから始めたとか。
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共産党体制が崩壊した時、この建物は未完成だった。放っておくわけにもいかず、ルーマニア人は建設を続け、完成に漕ぎつけた。無責任な観光客の立場から申せば、正しい選択だと思う。
しかし、もし当時のルーマニア人がチャウシェスク憎さから、未完成の箱を放ったらかし、朽ちるに任せていたらどうなっていたか?世界最大級の廃墟が出来上がっていただろう。それはそれで魅力的な世界線ではある。
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旅の終わりに
ブカレストに別れを告げる前、北駅のスタバで時間を潰していたら、30分の間に子供とご老人からそれぞれ物乞いらしき訪問を受けた。ルーマニアのEU加盟から15年以上。2007年に描いた未来はもう少し違う世界だったのではないだろうか。2024年のこの国はまだ、ハードにもソフトにも傷や歪みを抱え続けているように見えた。
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