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拗らせた旅人、ワルシャワにて

私はどんな旅行先にも肯定的なレビューをする人間である。それは、どんな旅でもいくらかは輝く瞬間があるし、わざわざ金と時間を割いた自らの旅に「失敗」の烙印を押したくない、という心理もある。

そんな私でも、ワルシャワではずっと難しい顔をしていた。いくつか気に食わない出来事があったことも事実だが、それよりも、ずっとこの街の存在意義についてモヤモヤしていたからである。しかしそれは、ここに来る前から予想していたことでもあった。

ワルシャワは第二次大戦で死んだ。西隣のファシスト共が暴れ回った(そして東隣のコミュニストが見殺しにした)結果、大部分が瓦礫の山と化したわけである。その後、旧市街がかつてと寸分違わぬ「正統な」ものになるよう苦心を重ね「再建」されたのは有名な話である。もはやワルシャワ旧市街は再建文化財の代表例と言えるだろう。

聖アンナ教会の展望台より

おかげで、目の前には美しい街並みが広がっている。しかし直感的に、何か引っかかるものがある。「旧市街」を歩きながら、ずっと「所詮はレプリカでは?」という心の声がどこかにある。「死んだ街」の「旧市街」に、何の価値があるのか?と。

多かれ少なかれ皆そう感じるからこそ、クラクフの「戦争を生き延びた旧市街」という謳い文句が機能するのではないか。ワルシャワにしろグダニスクにしろ、他の再建された「旧市街」も劣らず美しいにも関わらず。であれば、そんなレプリカの生まれた意味とは何なのか?

「テセウスの船」という問題がある。「ここに一隻の船がある。長い年月を経て、傷んだ部品を交換してきた結果、オリジナルの部品は一つもない。それでもこれは竣工時と同じ船と言えるか?」というやつだ。

これに対して私の直感は「同じでは?」と答える。「同じ」という言葉が曖昧ならば、「当初と同一の船であると主張する正統性がある」と(うざったらしいが)言い換えられる。なぜか?後付けで直感を補強するような議論だが、おそらく鍵は「連続性」にある。テセウス丸はいくらパーツが交換されようとも、ずっと「テセウス丸」としてのアイデンティティを保持してきた。パーツが一つ抜けても、依然テセウス丸はテセウス丸である。そして嵌め込まれた新しいパーツは、残りの正統なパーツ達から正統性を付与され、やはり正統なパーツとなる。

この「連続性」という定規を援用すれば、再建された文化財への違和感は説明できる。一度崩壊して自己同一性を失っている以上、どれだけそっくりに復元しても、やはり元のものとは別物なのだ。そこにはどうしようもない断絶がある。

ポーランドは文化財の再建に最も熱心な国の一つだと思う。何せ、第二次大戦(あるいはそこまでに至る近代史)で失ったものが多過ぎた。歴史に翻弄され続けたポーランド人は、何かを取り返そうとするかのような執念深さでワルシャワ「旧市街」を再現した。だがそこには断絶がある。2024年のワルシャワにあるのは、「『戦前と瓜二つ様式』で20世紀に建てられた街」なのである。これはワルシャワであってワルシャワではない。新・ワルシャワである。

20世紀ワルシャワの象徴、文化科学宮殿

結局の所、失われたものは帰ってこない(それ故の文化財保護・保全である)。ワルシャワ旧市街は帰ってこないし、いくら精巧に「再建」しても破壊者の罪が帳消しになることはない。

しかしだからといって、瓦礫の山に墓標を立て、半永久的に「これはドイツ人の××という連中がやりました。我々はこの者らを未来永劫、末代まで呪詛するものである」などと喧伝してみても、自分も辛いし相手も辛いだけである。何らかの方法で気持ちに整理をつけ、前を向かなければならない。

結局、「再建」された文化財というのは、未来に顔を向けるための「優しい嘘」なのだろう。我々はかつての宝が取り戻されたといくらかは思い込むことができるし、誰かを永遠に恨まずに済む。前を向くための優しい嘘。それを肯定的に評価することもできるし、「嘘は悪」と断ずることもまた一つの評価かもしれない。

そんな虚構の街から帰国した翌日、食中毒のような症状が出た。何か悪いものを食べたのかもしれない。長く続く腹痛と吐き気は、極めてリアルに感じられた。

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