見えない時間の見えない功績
わたしの暮らす大阪では連日の雨。
雨が降ると日常の家事にプラスされるものがある。
それは、車での主人の送り迎え。
連日の雨なので、プラス業務を連日担っている。
所要時間 一日2時間
行きの送迎 30分
行きの一人の帰り道 30分
帰りの一人のお迎え道 30分
帰りの送迎 30分
普段ない2時間を送迎で使うのは、結構大きな変化だ。
自分の出勤前の1時間と、帰宅後の1時間が送迎で消えるのだから。
送迎が嫌なわけではない。
むしろ好きな方。
18歳で車の免許を取得したその日に試験会場の門真から帰宅してすぐ実家の車で友達のところに遊びに行った。親にはちょっとまて!アホかとドン引きれた。
どんくさそうに見られがちな外見とは裏腹にiPhoneさえあれどこまででも一人で運転していける。
それぐらい運転が苦ではない。
送迎完了後や、お迎えの一人の車内では30分間信じれないぐらい大声で熱唱しているので、案外あっと言う間。
雨の日ユウウツを熱唱でソウサイ。
ただ、送迎する2時間と、しない2時間で一日の過ごし方が大きく変わるを連日体験しているので、人の可動時間について考えていた。
実際、主人が車内にのっている時間は片道30分。
その30分のためにわたしはさらにプラス30分車内で過ごす必要がある。
つまり片道30分の送迎は、1時間稼働することになる。
これを他のことにもどんどん当てはめてみる。
5分で読める記事は、5分では書けない。
10分で食べ終わる米は、10分では作れない。
2時間の映画は、2時間では完成しない。
陣痛がはじまってから出産の数時間は、妊婦の10か月を経ている。
飛行機で目的地につく3時間は、3時間以上の人の労働がある。
人と秒で繋がれるiPhoneは、秒では誕生しない。
所要時間のウラに、プラスの可動時間が隠れている。目に見えないウラで稼働してくれている人がいる。
連日の送迎で30分の送迎を感謝しろーじゃなくて、自分に言いたいのは、それ気づいてたかって話?
今まで自分にあてがわれてきた施しや、親切や、経験や、体験をするまでにそれを与えてくれた人にどれほどの感謝を伝えてきたか?
目の前のやさしさや親切にありがとうを伝えるのは容易い。
見えない苦労をどこまでも想像して、それに気がついてありがとうをあえて声にする。
まったくできてなかった…。
神様があんた!送迎でもして人の苦労に気づきなさいよ!!ってことで連日の雨をプレゼントしてくれたのかもしれない。たまにじゃなくて連日が重要。
まさに雨のお恵み。
頂戴いたしました。
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