好きなことだけをする生き方
今日は、自分の気持ちを優先してみた。
それも最を頭にもってきた優先オブ優先の”最優先”を。
今、自分が一番心地いいことする。
自分勝手な日。
子ども3人+夫在宅。さらには徒歩5分圏内のお舅さんが1週間ぶりの退院の日というしがらみの多い日に強行に及ぶ身勝手ぶり。
一応の言い訳を…洗濯、炊事、掃除、一通りの家事はすべてコンプリートした上での話。
なので厳密に言うとできる範囲内でのせめてもの自分勝手なのかもしれない。
心の求めるものに正直になればいい。
とか、自己啓発系の本なんかを読んでいたらよく目にするワード。
”本当に自分が好きなことをしたらいい”
悲しきかな、昭和のど真ん中の教育を受けて、生き抜いてきた41歳には、ほんとうに好きなこと”だけ”をする生き方がとてつもなくフワフワとした生き方に感じる。
輪郭のぼんやりした境目のない模様みたいなものなのだ。
目指していいような、悪いような…。
むしろ罪悪感すら感じる。
そんな気持ちになる自分のまじめさを呪う。
それでも呪いつつも、枠の中の最大限の自由を選択してみた。
今日の夕方、主人3兄弟と各配偶者とそれぞれのこども達を含む全員がお舅さんの退院日に義実家に集結する日だったのだが、唯一身内の中でわたしだけ駆けつけなかった。
今までの自分にはあるまじき行為。
そういう体裁だとか嫁ヒラルキーには敏感で臆病者なので、本来は自分の気持ちなんてものの価値はひょいっと簡単に放り投げれる人間なのだ。
だが、今日のわたしは違う。
本心が行きたくないと自分に告げている。
ここ1年ほど抱えているある悩みがある。
それを内包したままそれを悟れないように明るくやる気・元気・いわきみたいな嫁を演ずることにほとほと疲れてしまった。
まるで糸が切れてしまったみたいに…。
なので心の中でお舅さんの退院おめでとうござます告げた後は、今日だけは嫁でも母でも妻でもない一人の人間に戻らせてもらうことにした。
約3時間ほどの自分のためだけに使う時間。
わたしは映画を見ることにした。
”花束みたいな恋をした”をアマプラの最初の方に出てきたという理由だけで、直観的に1、2分で選んだ。
まあ~びっくり。
恋愛ものではあるということは知っていたのだけど、今日の自分の選択に意味を持たせてくれるような映画だった。
自分の好きを大切にする生き方。
自分の好きな人と一緒にいたいから、好きなことを放棄する生き方。
本当の自分を最優先することより、それを一番遠回しにして生きてきたようなわたしからみたら、後者の生き方が、正論。
それが大人ってもんだと思えてしまう。
お互いが好きでありながらも、いつしか大切にしたいものの価値観が大きくずれていくリアルな描写に心が痛んだ。
心の真ん中に置いておきたいものが違うものになり替わったとき待っているのは別れなのだということがしみていく。
エンドロールを見ながらそんなことを考えていると、ガヤガヤと家族が帰ってきた。
その瞬間、わたしはまた母に戻り、妻へと戻る。
好きだけや心地よさを心の真ん中に置いて生きるのはわがままなことなのだろうか。
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