それゆけ2025年
「大人になる」
これが2025年のわたしの目標!!
御歳43歳(12月に誕生日を迎えましたの)
子ども3人あり
配偶者あり
家、車、ローンあり
まぎれもなく大人。
確実に大人。
自他共に認める大人。
年齢や自分に付随するものを列記したらジャッジ不要の大人オブ大人。
だけどマインドが大人ではなく赤子なのだ。
年末に忘年会と称して30年来の友達と3人で集まった。10代の青春から今までの苦楽を全てシェアしてくれている愛すべき人達とのささやかな夜会。
仕事、家庭、思春期に入った子どもたちの心の関わり、主人たる人間とは何なのか? などなど…どこまでも止むことのない会話。
テーブルには見たこともないような大きさのジョッキがいくつもゴロゴロ。
名も知らぬお酒を洪水みたいに流し込む豪快な彼女達。
お酒を飲めない私はひたすらジンジャーエールで並走。
シラフでも同じ速度で走れるのれ30年来のなせる絆だったりする。
泣いたね。
笑ったね。
何度目かの笑いと涙が交錯したあとポツリと1人が言った。
「大人って、なんやと思う?」
ほえ?大人?
質問に答える前に彼女は続けた。
「最上級に空腹で限界やねん、そして目の前にずっとずっといつか食べてみたかった寿司屋さんの握りがどうぞとばかり目の前に差し出されわけ。まるでご褒美かのようなそれ。」
「今まさにいただきますをして口に運びかけたそのとき、目の前に突然現れた空腹の人にその寿司を惜しげも無く全部差し出せる人が大人やと思うねん」
「おっ……大人や。」
「それは…大人。」
頷く私たち。
「それ出来る?なんの迷いも葛藤もなくできる?」
大人の定義を示してくれた友達の切実な投げかけ。
「でき…でき…で…できひん…」
「やろ??」
「だから、今年は寿司をどうぞ出来る大人になるねん。」
友達が高らかにそう宣言。
そのお友達、仕事納めに自分へのささやかなご褒美菓子としてエリーゼを買ったらしい。味は特別仕様のクリームチーズ味。
キッチンで堪能しているとき末っ子5歳児がぬんと現れた。
「ちょーだい」
最後の1本をせがむ。
友達…
「我が子にもあげれなかってん…
どうしても食べたくて無理やってん。」
「なっ?大人ちゃうやろ??」
んんん…
「我が子とはいえ、今はあげたないときあるよな。わかるで…」
なんどきもどうぞできる人に今年はみんなでなろ。なろなろ。
そうだ。大人で思い出した。
少し前、子どもの習い事でお祭りがあったときのことを。
沢山の屋台が立ち並びどの店も大盛況。
1つ食べ物を買う度に長蛇の列に並ばなくてはいけない。軽く1時間は覚悟を要する。
子どもの友達のママさんとパフェの屋台に並ぶこと予想どおり1時間が経過。
やっと手にしていただこうとしたその時…
別の友達の子どもが私たちのパフェをみて、
「パフェーー!いいな!」
と、無邪気に近づいてきた。
(いいでしょ?だって1時間も並んだもの。
他の唐揚げやラーメンを諦めてまで並んだもの)⇽わたしの心の声
一緒に苦労して並んだママさん。
0コンマの迷いなく
子どもの目線までしゃがんで、すんごい苦労して手に入れたパフェをその子にどうぞした。
私の右手にもったパフェの所在はいかに。
差し出したママさんにわたしの食べます?棒読みで尋ねるも光の速さで「わたしタピオカ飲みたかったので並んでくるからいいです!いいです!」とタピオカの屋台めがけてかけていってしまった。
きっと、ぜったい、間違いなく、タピオカも1時間アゲイン。
大人だ。
ちなみにそのママさん。下世話な話…
知り合いママさんの中で軍を抜いてお金もち。真のセレブレティ。
そのエピソードを皆に話したら、
「心の余裕やな。普段の生活の豊さが心の余裕を生むんちゃうの?」
わたし
「そもそも心が豊やからこそ、お金に恵まれて余裕のある暮らしを営めるんちゃうの?」
卵がさきか、ニワトリがさきか?
どちらか先は分からんけど、知らけど…大人ってそーゆーことやんな。
みんなで大人になるを目標にかかげさよならした2024年。
2025年、大人になるのだ。
それゆけわたし。