思いつきと成り行きで行動したらどこにつく?
今朝起きた時には、こんな風に過ごすとは思ってなかった一日を過ごした。
思いつきと成り行きで神戸に行った。
港から吹きつける海の風を全身にあびた。
髪の毛までくちゃくちゃにして包み込む風からは海の匂いがした。
その風の全部が普段とはちがう遠くに来たことを知らせてくれた。
知らせを受けて、この景色を今なんで見ているのだろう?
ただ心に従ってここまで来たんだけど心は何に突き動かされたのだろう…。
心地よさの裏側でなぜ??がたくさん通過する。
想像もしていなかった自分の思いつきの行動にどんな意味があるのか探りたくなった。
海に浮かぶ遊覧船はまるで海賊船。
肉バルフェアーのお肉は美味しい。
神戸の街並みは新旧どちらの良さも建物からにじみ出ている。
いろんな心地よさをヒシヒシと感じながら神戸に滞在している自分が不思議で仕方なかった。
それでも普段は閉じ込めているみたいな本当の自分の思いつきを思いっきり実行したのは楽しかった。
休日を楽しめた達成感が心を漂う。
心地よい疲労感も体を覆う。
休日を楽しめたのは嬉しい。そりゃ嬉しい。
けれど、達成感を感じている自分にに少し違和感。
そこには休日を楽しまなければけのニュアンスがふんわり含まれている気がするからだ。
楽しまなければ、もったいないとすら感じてしまうのはなぜ?
それって、つまり平日は仕事で楽しくないからせめて休日は楽しむぞ!ってことじゃ??
週のうちに平日の方が圧倒的に多いのにそれでいいのか? そんなのって、なんか消耗して生きてるみたいだ。
早々とベットに入ったのは明日から仕事だから。
お休みが終わると思うと楽しかった一日が途端に薄まった気がした。
神戸の風の匂いがもう思い出せない。
今感じることを、大切にしたくて、思い立ったことを行動に移したくて、選択して、思いつきで神戸まで高速をかっ飛ばして行った。
現に楽しかったし、子どもも喜んでいた。
そんなときの自分はけっこう好きだ。
今を生きることの心地良さを、バシバシ経験したのに、夜になると連休があけるを憂いてる。
そんなときの自分はあんまり好きじゃない。
明日仕事辞める。
明日自分の属しているものから離脱する。
明日思いつきだけで生きる。
そんな大胆なことができたらどんな気分だろか?出来もしないもしもを並べる今夜は楽しかった今日と、退屈な明日の狭間。
ただの逃避?
5月病?
連休明けにはありがちな感情?
明日の自分が想像できる生き方は幸せなの?
少し窮屈で、少し安心。
きっと幸せで、やっぱり幸せ。
なんだよね?
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