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踊る警備員

家の近所のスーパーの駐車場に踊る警備員さんがいる。

赤い誘導棒をクルクルまわしまるでダンスでもしてるように軽快に車を誘導してくれる。

どんなに炎天下でも、どんなに極寒でも、日に焼けた顔にニカッと白い歯をのぞかせて
「ササッどーぞ!!」

踊る警備員さんが逸見政孝さんにそっくりなので密かに心の中で逸見さんと呼んでいる。


パリッとした逸見さんは、この町の人気者。

下校時間になると小学生がスーパーの前を通る。
そんな時、子どもの目線まで腰を落として、安全かつ軽やかに誘導。そしてニカッとする。

ランドセルの子どもたち囲まれて、何やらいつも楽しそうに挨拶を交わしている。

和む。

町の全ての人に優しい。

スーパーには入らずお店の前の道をただ通過するだけでも、わたしの運転する車を見つけると、帽子をちょっと片手で浮かせて、頭をペコっとさげてくれる。

ハンドルをにぎりながら思わずわたしも深々と頭を下げる。

最初はよく買い物に行くから車ともども認知してくれいるのかなー?と思っていたけど、どうやら違う。


主人と同乗してるときそれが行われた。

「あの人、わたしを覚えてくれてんねんで」

「えっ! ぼくもやし」

ウソー!

極たまにしかスーパーに立ち寄らない主人をも認識していたとは…。
恐るべし逸見さんの認知力。

それからと言うもの
逸見さんの動向が気になってしかたない。

スーパーを横切るとき、ついつい逸見さんの姿を目で追う自分がいる。

逸見さんは、なんどきも軽快に車や人々をクルクル誘導しては、帽子をひょいと上げてニカッと笑う。

クルクルやペコやニカッに大忙し。

車ごしなので
逸見さんと言葉を直接交わしたとこはない。
だけど、わかる。

絶対いい人。

所作の全てに愛があって、思わず拝みたくなるんだもの。

逸見さんはいつもだいたいいる。
年末年始にもいた。ここ数年ずっとそうだ。

見たところ、そんなにお歳を召したようには見えない。

日々上がる好感度と共に、逸見さんのバックグラウンドが妙に気になりはじめる。

毎年毎年、年末年始もスーパーにいるけど…ご家族さんは?

いてくれて非常に有難いのたけど、結構大変な警備員のお仕事をなぜ選んだのだろうか?

町の人から愛されている逸見さんならどんな職場でもそれなりに重宝がられる存在になりそうだが。
それにどうみてもおじいさんとは言えないお歳。
いわゆる働きざかり世代に見受ける。


こうなったら、逸見さんがここに行き着いた経緯を勝手に想像してみることにした。

かつての逸見さんは、仕事で家庭を省みない。
仕事人間。

経済的な豊かさを与えることが彼なりの家族への1番の愛情表現だった。

愛情は受け取り方によって、悲しいくらい伝わらないもの。
欲しい愛を与えられない家族の心は枯渇を覚える。

いつしかすれ違う逸見さんと奥さん。夫婦の関係性がそのまま子どもとの関係にも比例する。

一番近くにいるはずの家族の心は遥かかたなへ…。

そんな家族との溝がジワジワ深まる一方で、最悪が重なる。
ガンが見つかった。

まさか自分が…。


今までの全てを悔いた。


ほんとに望むものが、皮肉なことに命のカウントダウンとの引き換えにようやく見つかった。

愛する家族とひと時でも長く一緒に過ごしたい。

その願いはむなしく…彼の気づきはあまりにも遅すぎた。
その時、奥さん子どもたちの姿はもうそこになかった。

妻と子どもには負担をかけたくない。

病に侵されていることを誰にも告げず…ひとり退職し、そっと住処を変えた。
財産のほとんどを妻と子どもに分け与えた。


命を繋ぐ意味を見出せないのなに、なぜ自分は治療を受けるのか。
生にしがみつく理由もないはずなのに、自ら死期を早める決断は下せない。

むなしすぎる毎日。

当面の生活費と治療費は退職金をあてがえば、まだしばらくはどうにかなるだろう。

お金の心配より辛いのは、何もしない一日のあまりの長さが永遠のように感じることだ。

あんなに欲しかった時間が手に入っても共に過ごす家族がいなくては無用の長物。

永遠に感じる時を縮めるためには労働だ。
いずれお金も必要になる。

ネット求人の1番上にでてきた警備員のは仕事。
それが理由だけで選んだ仕事だった。

スーツを脱いで新しい戦闘服に身をつつむ。どこか警察官を連想される制服に少し誇らしげな気持ちになった。

たかが、車の誘導だろう。
どこか心の中でこの仕事をバカにしていた。始めるまでは…。

思ってたのと違う。

体力的に圧倒的に疲れる。
体感時間がとてつもなく長い。
暑さ寒さをダイレクトに受ける。
日焼けしすぎた顔に無数のシミが散らばった。
安全を配慮した指示でも我さきを急ぐ利用者からの容赦ない怒り。
罵声代わりのクラクション。

どの仕事に言えることだが、想像以上に大変だった。

ただいまの自分には、そのぐらいが丁度良かった。

精神的にも、肉体的にも体を容易くはなかったけど、仕事のときだけは病に侵された体の心配や未来のこもを考えずに済んだ。

だから、来る日も来る日も車をさばき続けた。

家族の時間を犠牲にしてまでも担ってきた仕事や、健康を失ってからここまであっと言う間だった。

気がつけば長い年月が経過していた。



こんなはずじゃなかったが百万回繰り返されたころある変化に気づいた。

笑っている。

利用者から向けられるあいさつや感謝の言葉に応えている自分がいた。

すると今度はあれ?
この人は?毎日見る顔だ。
あれ?子どもが増えてる?
あの子は前も手を振ってくれたな。
あの子いないぞ、今日は学校お休みかな?

どうでもよかったモノクロの毎日に色が住み始めた。

ここを行き交う人たちの毎日見届けていると、段々この町に暮らす人の顔が見えてきた。
そうすると親しみと愛しさが込み上げでて、誘導をしながら視界がぼやけた。

家族の心の変化すら見落としてきたこんな自分が他人の安全を誰よりも気にしている。

なぜ、1番大切家族にそれが出来なかったのだろう。

惰性で始めた仕事にみなぎる活力。
芽生え心。

正直、治療は辛い。
だけど、こうして町の人との関わりが1つの薬になっている。

日に焼けたこの顔を今妻がみたらどう思うだろう?


人前でこんなに愛想良くできる男だとしったら、驚くだろう。

逸見さんの笑顔の裏に隠された切ない秘密。

そう思うと今や50メートル先からも挨拶を飛ばしてくれる逸見さん!
どうか幸せになってください。

願わずにはいれやない


と、これがわたしの中の空想の逸見さんの物語。

実は逸見さんは40年近くニートで初めての社会人経験かもしれない。
元々その道のお方で堅気になったばかりの人かもしれない。
あの笑顔のうらには沢山の人を傷つけた過去を背負っているのかもしれない。
単純に恵まれた人生で、警備員会社の御曹司かもしれない。
幹部の仕事より現場を愛している2代目さんもしれない。


ほんとは知らん。
逸見さんのことは分からない。名前すら知らない。



だけど、私の目に映るのはこの町の人々を愛し、人々から愛さている逸見さんだ。


逸見さんはスーパーの前で明日もきっとダンス・ダンス・ダンス

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