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義理の妹は人間の形をした仏かもしれないと結構本気で思っている

生きているとたまに出会うことがある。
とんでもなく達観した人に。

わたしの身近で会うたび、いつも感動を絶対受け渡してくる人がいる。

それが、主人の弟の奥さん。
つまりわたしからしたら、義理の妹。

つくづく不思議に思うことがある。

義理を挟む関係って…超絶他人なのに、ある日を境に家族になるのだから。

初めましてで、もう既に身内って凄ない?

まだ、百歩譲って自分の兄弟の配偶者なら親戚感をわりと早い段階でもつことができる。
兄弟の伴侶となってくれたことに感謝が加味されることも大きいのではと思う。

自分の配偶者の、兄弟の配偶者はもはや他人の領域では?とすら感じる。

カウント的には他人ポジションの属してる部類。

他人とか言うと冷たいけど、その領域の義理の妹が、もはや他人でいてほしくないほどできた人なのだ。

主人と弟とは10歳以上年齢が離れている。
なので、その奥さんである義理の妹もわたしより10歳以上、年下なのだ。

彼女を見ていたら人は年齢に関係なく、心はその人となりの発展を遂げているのだなと思う。

かれこれ弟夫婦が結婚をして、6年になる。

彼女と出会ってこの6年、その口からネガティブに該当するワードを聞いたことが無いのだ。
お互い近所の住んでいるので、頻回にあう機会はある。

彼女には子どもが4人いる。

下は1歳。上は6歳。
その間に1、2歳間隔で2人の合計4人。

普通にしていても現場はいつだってカオス。事件は現場で起きてる状態。

4人とも手がかからないとかのおとなしいタイプではない。
どちらかというとかかるに属している。
子ども界でもワンパク部門のトップクラスに君臨する面々。

ビジュアルもややゴリラ寄り。

とてつもなくかわいい愛すべき子ゴリラが4人。そんな大好きな甥っ子と姪っ子たち。

まず、その僅差で多児童を育てるだけでも中々の精神力と、気力と、根気と気合と、愛情を要することは想像に容易い。

曲りなりにも、わたしにも3人子どもがいるから、そのあたりの苦楽は十分承知しているつもりだ。

絶賛育児中!!!であること。
それ一つとってもネガティブな発言を誘発する事案になりえる。

はずが…

彼女は違う。

育児についても一切の不の発言はでてこない。子どもにだって神対応。

他にも、同じ姑をもつ嫁という立場から、同じもの見ているはずなのに…

なにか違う出来事が彼女の世界で流れているのでないか?と思うえることがしばしば垣間見える。

たくさんありすぎて書けないけど一つあげると、
朝6時の突撃訪問…。
うそん…。

わたしは今でこそウェルカム体制だが最初ちょっとびっくりしたのは正直なところ。慣れって凄いよ。
ちなみにお姑さんのこと愛してます。

それレベルの案件が起ころうともいつでもどんな時でも神対応。
しかも本気で無理してない感じ…。

いつだって優しい。
どこまでも穏やか。

わたしがアップアップしてお姑さんからの愛情の大きさを受け取るのに半分お溺れかけで、うまく息継ぎできないようなときでも彼女は違う。

サーフィンでもしてましたっけ?ばりに軽やかにその愛情を懐におさめ乗りこなし、あっという間に岸まで辿りついてる。

ちっ、ちがう…。



人間しての器も、ベクトルも、おまけにビジュアルのレベルまでもかとにかく全てがが違う。
可愛いんよ。顔も。

なのに不思議と嫉妬とか、わたしの得意技である劣等感を抱かせてない不思議さも兼ね備えているときたもんだ。

あまりにも人間力が高いので、

何度か思わず確認したほど…。

「人間?やんな?」
「仏か神に属する何かちゃうよね?」

「ちがいますよー」

「適当な人間ですよーと」と彼女は笑った。

いや、じゃあさ、

「なにかイラつくとか、怒るとか、もうええわ! みたいなこと思わんの?」

なんとしても彼女から聞きだいしたい。欲しがるよねー。わたし。

わたしなんて、そんな誘導尋問を受けようものなら烈火の如く、
禁じ手のネガティブワードを連発してしまいそう。

結局、彼女からの一切の不なるものは出でこなかった。

やっぱり神なのか?

あまりの神っぷりに、
「わたしの今まで出会ってきた人間の中で間違いなくトップ3に入るいい人。
ほんまいい人よ~」本人に言ってしまったほどだ。

わたしのリアクションに困る気持ち悪い発言にも彼女は神的し返しを。

わたしのことを
「〇〇ちゃんが仏ですよ~。」

ええ子や…。泣けるほどいい子や。そして、仏とかちがうけどな。ごめん…。

わたしは残念ながら人間の中の人間。それも煩悩に翻弄され気味の方で…。今回そちらで生かせてもらってます。

日曜日の昨日、彼女の仏力の高さをまたもや目の当たりする義実家での集いがあった。

その素晴らしさたるや…。
穏やかの一言に尽きる。

3番目の子どもが食べる食べない論争を繰り返しても根気よく励ましと愛情。

わたしなら、もーえーわー!
食べんでえーーとか!言っちゃうよね…。


その他の諸々にも再び感動したわたしは、わざわざ仕事終わりの夕方の寒い中、買い物そっちのけで、自転車かっ飛ばして実家の母のところまで報告してきた。


「その子は友達多いやろ?」
「よほど信じてるものがあるんやね。」と母。

確かに!
他府県から単身アウェーで嫁いできたのにこの6年でお友達が沢山いる。
いつもにぎやかで人に囲まれている。まるで地元ここです!みたいな空気感を出してる。

「何を信じたら
そんな神になれるんやろ?」

「それは育ちやろな…。」
「人への愛とか、施しとかがあまりにも当たり前すぎる中で、無意識で育つとそうなるんちゃう?」としびれる母談。

なるほど…
無意識レベルの愛。


愛…ほしいね。








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