色彩を持たない彼が「そう」なった理由をまだ知らない

初めまして。

うっかり仕事を辞めてニート、23歳。
やることがないのでnoteを始めました。

現在、読んでいる村上春樹著書の
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」について。

読み始めて2日の感想はただ1つである。

「あるいは」ばっかり気にしてしまって内容が入ってこない!

彼の「あるいは」の用法には大きく分けて
「or」と「and」があると感じている。

私はこの2日間で
「or」だけだと思っていた「あるいは」を「and」まで許容した。

そこまではよかった。
その後、順調に読み進めていたら、
それ以外の「あるいは」が出てきた。

この「あるいは」は違くないか。さっきと違う。

考えた末、先ほどと同じ言い方をすれば「that」なのではないか。
・・・と思いきや、深く考えてみたら
「or」の「あるいは」ではないだろうか。

もう、「あるいは」のことを考えすぎて完全にゲシュタルト崩壊している。
この字面を見るだけで「また来たか」と思ってしまい気疲れをし、
私は本をそっと閉じる。


結局、文庫本が販売された同書を、
販売されてすぐに購入したのにも関わらず、
私は最後まで読めていない。

ずっと、多崎が「そう」なった理由を知らないまま、
同じところまで読んでは、諦めて、を繰り返している。
「そう」なった理由が分かれば、私は「あるいは」を好きになれるだろうか。

おそらく購入して1年半近く経ったと思う。
いい加減、途中までの本をそのままにしてはいけない気がして、
一昨日の私はこの本を手に取った。

私は今一度この本に向き合おうと思う、あるいは向き合わなくてはならない気がしていたからである。

(ニンマリ)



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