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2023/10/20

今日の昼休み。
看護学部のある友達と
久しぶりに2人で話をした。

一年前、私たちは同じサークルの幹部代だった。
だが、私は他のサークルですでに幹部をやっていて、
それでかなり忙しくなることを言い訳にして、
そのサークルでは役職を持たずに活動していた。

結局、当時の代表がほとんど1人で運営の仕事を背負っていた。

その代表が今日の昼休みに一緒に話していた友人である。

何かの話の流れで、キャパオーバーになった時の話をしてくれた。
彼女は研修に向けて何度もmtgをし、資料を作り、研修の手筈を整えて活動していた。研修が近づき、一通り準備も落ち着いて大変なピークを終えた頃に、彼女のそれがきた。
その期間、彼女は電車やバスに乗れなくなったそうだ。最寄駅まで両親に車で送り迎えしてもらって大学には行けていたことも話してくれた。

何かの大きな原因に心当たりがあるわけではないけど、代表としてサークルを動かし1人でたくさん背負って急に堰が切れたように心の調子がバランスを取れなくなってしまったのかな、と思った。

わたしは今日までそのことを知らなかった。

私は彼女が準備していた研修には行かないことにしたから、その時期あまり顔を合わせることもなかったのだけど、、、。

彼女は今日は笑顔で当時のことを話したが、
今日、話を聞いているその時間も、
わたしは彼女の気持ちを十分想像しきれないままで会話しちゃってた気がした。



今日お昼休みにもう一つ出来事があった。

ロッカー室で同級生が「お疲れ〜」と何気ない声色で挨拶してくれた。
聞こえた声の方をみると、彼女は1人でロッカーにもたれかけて床に座っていた。

その子は愛嬌の良さと悪気のない純粋さが素敵だが、
よく遅刻したり課題やってこなかったりするおちゃめな子だった。
まだ実習時間中だったのに
彼女は私服に着替えていたので、
私は彼女に今何をしているのか、と聞いた。

彼女はこう答えた。

「実習行きたくなさすぎてさーー先生に帰るって言ったら止められて今ここにいるのー。病棟行くだけで涙出てきちゃうんだよねー、うちなんか頑張る系のキャラじゃないのに似合わんことするからねー。」

今振り返ると実習から抜け出したくなるほどのそれなりの「気持ち」があったはずなのに、<平然とした顔つき>で、<元気そうに>語るようにみえて、あまり深刻だと受け止めなかった。

話を聞く限り、終末期で患者さんを見ることが悲しくて実習ができないとかの理由はないらしい。
でも目眩や頭痛がするほどのストレスで、具体的な理由が何か彼女自身も言語化できていないのか、あえて語らなかったのかは私にはわからなかった。


彼女が親身になって私に話を聞いてもらいたかったのかどうかはわからないし、実際彼女がどれくらいつらかったのか、私が気にするのもおこがましいのかもしれないけど、
同じ時間でももっと相手の気持ち想像して相手の話聞けたんじゃないか?って帰り道にぼやぼや考えていたのだった。



そして、キャパオーバーの話をしてくれた彼女の話を思い返して、自分がやらなかった分誰かが頑張ってくれていることにもっと自覚的になりたいとおもった。

自分が不注意な性格であることを自覚しながら
最終確認を怠ってしまったことや
自分が選ばなかった、
選べなかった道の先で、
誰かが本来する必要のなかったはずのことまで
請け負ってくれていたことに
支えられてきたこと、
だからこそ、
「今」があることに
まず気付いて
ありがとうって伝えないとなあ。。

誰かが本来する必要のないがんばりをしてくれている理由が自分である時、特に、自分の不注意や浅はかな見通しや大胆さや自分勝手さにある時に、それにうっすら気づきながら、見て見ぬふりをしてしまうときもある。

自分の人生のことばかり考えて
誰かの気持ちやがんばりに対する
想像力をなくして貧しい心にならないように。

今日は誰に、どんな人に支えられたろう…?










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