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ストリートチルドレン 前編

目的地

私たちは首都の中心地にある目的地へ向かっている。
大通りから外れて電車の走らない線路沿いを進むと、陸橋が見えてくる。
橋の下に視線を送ると、そこには大勢の人が横並びに腰掛けて座っているのがみえる。私たちを警戒する目つきもなく落ち着いた表情、ペットボトルを手に持って走り回っている陽気な子どももいる。私たちは、橋から100mくらい離れたところで車を停めて、その場所におりた。腐ったものか、かびたものか、違和感のある匂いに嗅覚は刺激される。そこに乾いた砂埃が立つ。

早速、私たちの世話人でもある牧師さんが橋の下の集団から挨拶にした大柄な男性2名と挨拶を交わす。その大柄な男性は、派手な黒いTシャツとキャップを纏い、ジーパンにくくった大きなチェーンを鳴らしながら歩く。第一印象はヤクザ感があったので緊張したが、牧師さんと話している様子を見ると、威厳はあるものの表情は柔らかい。私たちにも手を出して、名前を紹介してくれた。人との出会いの初めには、挨拶と自己紹介だ。人間関係のマナーの基本はここでも変わらない。

やっぱり緊張はしている。ついにここにきた、ストリートチルドレン、
路上生活を送る人々がいる場所_


牧師さんの後に続いて、私たちは橋の下に佇む人たちに向かって歩みを進める。彼らは総勢100名程度。一番多かったのは、ティーンズから20歳代の男性だった。他には、陽気に話しかけてくれる子どもたち、年老いた痩せた長老のようなおじいさん、小さい赤ちゃんを背負っているお母さん。よちよち歩きの幼児もいる。まだ言葉もこの世界のことも知らないくらいの年齢だ。そのみんなが、一つ大きな屋根の下、ならぬ、橋の下に一緒に暮らしている。橋の端の陰に隠れたところに足を運ぶと、そこには横たわった男性がいた。ハエが彼の周りにたかっている。表情をみることはできなかったが、起き上がることもままならないようだった。聞くところによると、彼は結核だという。病院に連れていこうにも、彼自身も彼の周りにも彼を病院に運びその後医療を受けられるような手立てを持っている人はいない。結核は空気感染だが、感染対策という4文字はここのどこにもない。

橋の下に佇んでいた彼らは、私たちに手を出して、名乗って挨拶をしてくれた。お互いに想像できないような過去をもった人同士が、互いの目を見て、握手を交わして、出会いを重ねた。

受け取る情報量の多さと、その意味づけがその場でできず、今になって当時の私の感情を振り返ってもそれに合う言葉は見つからない。現実を理性で理解しようとした。


ストリートチルドレン

ストリートチルドレンと社会からは呼ばれている、幼児期、青年期の年頃の子どもたち。彼らは明るく、私たちが着くやいなや" Hi! "と声をかけてくれたり、話しかけると穏やかに答えてくれたりした。年頃の小さい子の中には、握手を交わしてハグを求めてくる子もいる。挨拶を終えるとやけにハイテンションにその場を走り回ってゆく。ただこれだけの情報からは、彼らのテンションの高さに違和感が残る。ギラギラと輝き、とろんとした虚な目。片手には透明な液体が入ったペットボトル。これを見て、かつてこの土地に足を運んだ先輩方から話に聞いていたことを思い出す。そこにいるストリートチルドレンたちは、片手にドラックの液体を持ちそれを吸って生活している。彼らは、飢えや寒さ、個々の苦しみから逃れるためにドラックを頼りにしている。薬の効果で脳を騙し多幸感やハイになる状態を味わう。薬が切れたら、また現実に戻る__。目の前の彼らの姿は彼らの人生のほんの一部しか語らない。その虚な目の奥に焼きついている彼らのエピソード、砂で汚れた肌で今まで感じてきたこと、元の色が浮かび上がらないきれぎれの服に染み込んだ路上生活の時間…。異常な明るさの奥にあるひとりひとりの陰を勝手に覗き込むことも、理解することもこの場ではしきれない。

はじめましての挨拶が終わると、人が一箇所に集まってきた。
それから聞きなれないリズムにのって、彼らが歌い始めた。というより、何かゲームを始めた。それは、日本で言うところの「猛獣狩りへ行こうよ」の雰囲気とにていた。まず、円の中に一人の男の子が立っていて、繰り返すリズムのあるタイミングに合わせてポーズを取る、その次のリズムで円を囲っている人がそのポーズを真似する。それを3回繰り返すと、円の中に立っている人が入れ替わってまた、ポーズを3回とる。シンプルなリズムだったから私たちもすぐに馴染んだ。子どもに引っ張られてちょっと恥ずかしそうにして円の中心に立った大人も、次の瞬間にはわけわからないポーズをしてまたみんなが笑いながらポーズを模倣する。場はとても盛り上がった。そこにいるひとたちの表情が笑顔だった。
ザンビアの人たちは、いつ終わるのかわからない音楽が好きだ。途中で飽きたよとか、めんどくさいなという合唱コン前の中学生男子みたいな表情をするひとは一人もいない。この場でみんなで感情を分かち合うことを大切にしているのだと思う。それは楽しいだけじゃない感情もきっと同じだ。つらいことも、恥ずかしいことも、面白いことも、悲しいことも、想像でしかないけど、きっとそうだろうと思う。この時もみんなの気が済むまで踊って、歌った。

私たちの想像を超えた環境で暮らす彼らに、私たちのような、たった一回食料を配りにくるような、先進国の偽善者たちが受け入れられるのか、私たちの存在をどのように受け止められるのか、想像さえできなくて不安だった。彼らが暖かく出迎えてくれたという事実に安堵し、自分の不安を隠すための笑顔はいつの間にか自然な笑顔になっていた。

中編につづく


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