私たちの足元は白く発光する、の話。

予定になかった沖縄滞在の時間が4日間ほど生まれ、おそらく20年ぶりくらいに沖縄に行きました。
小学生くらいの頃までは家族旅行でよく訪れていて、それでもあとのほうはほぼ離島の旅だったうえに私の記憶力では小学生の頃のことなんてほぼ覚えておらず、つまりはもう記憶にない土地になっておりました。

観光にはあまり興味がなかったので、時間の許す限りぷらぷらしてみようと思い、なにも計画を立てずに過ごす。
私はとにかく、プランというものを考えるのが苦手だ、ということを強く思い出す。
まだおとなになる前、みんな、人生プランみたいなものを考えていた。大学に行って、どういう仕事をして、どういう人間になって、何歳で結婚して、こういう生活をしたい。そういうことを、夢のように語っていた同級生のなか、私はただ、ぼんやりとその一瞬だけを生きてきた。

はたして、私はそのまんまでおとなになった。
今も何も考えていない。どうなりたいか、何歳まで移動生活を続けるのか、この先どうなりたいのか。行く先々で聞かれる、「なにか目標があってこういう生活をしているの?」という問いに、いやぁ、とくになにも、のんびり生きてます、と返す。でもそう返せるようになっただけ、まだ良いのかもしれない。もう少し前の私は、ただ笑って誤魔化すだけだった。何も考えていない自分が恥ずかしかったから。今は、もうそれでいいなとおもう。それが自分なのだから、恥ずかしかろうがどうせ何も考えてないのだし、何も考えてない自分を堂々と出していこう、と。

立派なおとなにはなれなかったけど、立派におとなになりました、とそう言ってもいい気さえしています。

沖縄は、太陽の力がものすごいなと感じる。アスファルトが白く白く輝いて、目を焼き、海はきらめき、ものすごい強い力で私たちに降り注ぐ。こんな力のなかで生活していたら、そりゃあ人間も強くなる。そういうパワーが至るところから感じられて、とても良い。
驚くべきことに、こんな力強い太陽でもまだ4月の陽射しで、これからますます力を増していくのかとおもうと、すこしこわさすらある。

商店街を歩いていたら、知らないおじさんに「グァバなってるとこ見たことあるか?」と声をかけられ、いや、ないですね、と言ったらついてこいと言われ、おそるおそる行くと、グァバやドラゴンフルーツやさんぴんが咲いているところを見せてくれて、葉っぱのにおいをかがせてくれた。
これからお墓の掃除に行くんだ、とおじさんは言った。私は友達の友達が迎えに来てくれる予定になっていて、電話がかかってきたので、おじさんにありがとう、もう行くねと言った。そういう不思議な出会いもあった。

そのあと会った友達の友達は知らないひとで、初めて会ったひとだったけれど、そのまま朝まで飲んで、次の日も遊んだ。
良い人だったけれど、結局異性として私のことを好きになってくれたらしく、私はそうなるともう厄介だなという気持ちが勝ってしまうややこしい人間なので、これ以上一緒に遊ぶ予定が立たなくてよかったなと思ったりした。

おっきいお風呂に入りたくて、瀬長島というところに行ったりもした。空港から近いので、離陸直後の飛行機が上を通る。飛行機のおなかがたくさん見て、自衛隊の戦闘機が飛び立つ轟音に鳥肌を立てたり。

オシャレな商業施設があって、でも丘に立っているのでひたすら階段をのぼりおりして、太陽であらゆるものが白くなってもはや見えづらいくらいの暑さのなか、海を見ながらごはんを食べた。
私はタコライスはとても好きだが、タコスは食べづらくてあまり好きじゃないな、ということがわかった。

最近は島にいたから、沖縄本島の海には感動はしなかったけれど、それでも海は青くて綺麗だった。波打ち際の綺麗さは、島にはやっぱりかなわないけど、魚はすごく多かったな。しかもおいしそうなやつが。島で見る魚は、熱帯魚みたいな、鮮やかな色とか派手な模様のやつが多くて。沖縄の海の魚見て、あれ食べられそーなどと考えていました。

南のほうの良いところは、下着みたいな格好で出歩いても、いやらしさがないところだなとおもう。暑いのだからそりゃあ脱ぐよね、みたいな感じで、当たり前に風景に溶け込める。沖縄でしか着られないだろう、みたいな柄の服が並んだお店を見て、なぜだかとても元気になる。まあ、夏が本番になったら、逆に長袖にしないと肌が死ぬのだけれど。

みんなが私に求めるものって今わからないものっぽくて予定になかった沖縄滞在の時間が4日間ほど生まれ、おそらく20年ぶりくらいに沖縄に行きました。
小学生くらいの頃までは家族旅行でよく訪れていて、それでもあとのほうはほぼ離島の旅だったうえに私の記憶力では小学生の頃のことなんてほぼ覚えておらず、つまりはもう記憶にない土地になっておりました。

観光にはあまり興味がなかったので、時間の許す限りぷらぷらしてみようと思い、なにも計画を立てずに過ごす。
私はとにかく、プランというものを考えるのが苦手だ、ということを強く思い出す。
まだおとなになる前、みんな、人生プランみたいなものを考えていた。大学に行って、どういう仕事をして、どういう人間になって、何歳で結婚して、こういう生活をしたい。そういうことを、夢のように語っていた同級生のなか、私はただ、ぼんやりとその一瞬だけを生きてきた。

はたして、私はそのまんまでおとなになった。
今も何も考えていない。どうなりたいか、何歳まで移動生活を続けるのか、この先どうなりたいのか。行く先々で聞かれる、「なにか目標があってこういう生活をしているの?」という問いに、いやぁ、とくになにも、のんびり生きてます、と返す。でもそう返せるようになっただけ、まだ良いのかもしれない。もう少し前の私は、ただ笑って誤魔化すだけだった。何も考えていない自分が恥ずかしかったから。今は、もうそれでいいなとおもう。それが自分なのだから、恥ずかしかろうがどうせ何も考えてないのだし、何も考えてない自分を堂々と出していこう、と。

立派なおとなにはなれなかったけど、立派におとなになりました、とそう言ってもいい気さえしています。

沖縄は、太陽の力がものすごいなと感じる。アスファルトが白く白く輝いて、目を焼き、海はきらめき、ものすごい強い力で私たちに降り注ぐ。こんな力のなかで生活していたら、そりゃあ人間も強くなる。そういうパワーが至るところから感じられて、とても良い。
驚くべきことに、こんな力強い太陽でもまだ4月の陽射しで、これからますます力を増していくのかとおもうと、すこしこわさすらある。

商店街を歩いていたら、知らないおじさんに「グァバなってるとこ見たことあるか?」と声をかけられ、いや、ないですね、と言ったらついてこいと言われ、おそるおそる行くと、グァバやドラゴンフルーツやさんぴんが咲いているところを見せてくれて、葉っぱのにおいをかがせてくれた。
これからお墓の掃除に行くんだ、とおじさんは言った。私は友達の友達が迎えに来てくれる予定になっていて、電話がかかってきたので、おじさんにありがとう、もう行くねと言った。そういう不思議な出会いもあった。

そのあと会った友達の友達は知らないひとで、初めて会ったひとだったけれど、そのまま朝まで飲んで、次の日も遊んだ。
良い人だったけれど、結局異性として私のことを好きになってくれたらしく、私はそうなるともう厄介だなという気持ちが勝ってしまうややこしい人間なので、これ以上一緒に遊ぶ予定が立たなくてよかったなと思ったりした。

おっきいお風呂に入りたくて、瀬長島というところに行ったりもした。空港から近いので、離陸直後の飛行機が上を通る。飛行機のおなかがたくさん見て、自衛隊の戦闘機が飛び立つ轟音に鳥肌を立てたり。

オシャレな商業施設があって、でも丘に立っているのでひたすら階段をのぼりおりして、太陽であらゆるものが白くなってもはや見えづらいくらいの暑さのなか、海を見ながらごはんを食べた。
私はタコライスはとても好きだが、タコスは食べづらくてあまり好きじゃないな、ということがわかった。

最近は島にいたから、沖縄本島の海には感動はしなかったけれど、それでも海は青くて綺麗だった。波打ち際の綺麗さは、島にはやっぱりかなわないけど、魚はすごく多かったな。しかもおいしそうなやつが。島で見る魚は、熱帯魚みたいな、鮮やかな色とか派手な模様のやつが多くて。沖縄の海の魚見て、あれ食べられそーなどと考えていました。

南のほうの良いところは、下着みたいな格好で出歩いても、いやらしさがないところだなとおもう。暑いのだからそりゃあ脱ぐよね、みたいな感じで、当たり前に風景に溶け込める。沖縄でしか着られないだろう、みたいな柄の服が並んだお店を見て、なぜだかとても元気になる。まあ、夏が本番になったら、逆に長袖にしないと肌が死ぬのだけれど。

東京に戻って、服装があまりに場違いなことに驚いて、その浮き具合にもはや笑うしかなかった。キャミソールで歩いているひとやビーチサンダルで駅をうろつく人はいなかった。私の居場所はここにはない、と強くおもう。どこにもないけど、すくなくともここじゃないと。

でも、いろんなところに住むたびに、自然なことを自然に、とおもえるようになる。もう若くないから落ち着いた服装を、足が太いから出しちゃだめ、おなかを見せて歩くなんてみっともない、細く見せなきゃ、肌は綺麗で白くなきゃ、かわいく見られなくちゃ価値がない、女らしく、女らしく、女らしく。そういう凝り固まった「普通」から脱して、自分がしたいかどうで物事を決める。それが正しさじゃなくても。

そんなわけでまたふらふらしてきます。最近言われていちばん印象に残ったことばは、「あなたは人間としての規則性みたいなものがなさすぎる」です。性格が定まっているひとだと自分のなかに無意識的であれルールが存在するもので、こういう場合はこうする、このひとだったらこうするだろうな、というある程度の予測がつくものですが、そういうルールが存在しないのだそうです。私がよく「ふわふわしている」と言われるのも、やわらかい雰囲気という意味よりかは、所在ないという意味でのことが多いのでしょう。

いずれ死ぬときはほんとうにふわふわと透明になりたいものです。

それでは。

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