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人生と感情と株価は同じ

何か月も前から楽しみにしていたはずの黒部・飛騨旅行。
誰かの「みんなで旅行行きたいね」から始まって、27歳女6人がなんとか予定を合わせた。

紅葉真っ盛りの黒部渓谷をトロッコからのんびり眺め、温泉と懐石料理に癒され、翌日は世界遺産「白川郷」と飛騨高山を散策する、という何とも欲張りなバスツアーをネットで探し出したのは私だった。
しかも一人30,000円だよ! とみんなにプレゼンしたのも私だった。
飛騨牛が食べたい、としつこいくらいに言っていたのも私だった。

それなのに、今朝みんなと一緒にバスに乗ることができなかったのも――これまた私だった。

季節の変わり目だからか不調が続いていて、もともとメンタルや体調が不安定な私はここのところ参っていた。こうした不調は、あらかじめみんなにも伝えてあったから、あまり気負わずに楽しむ旅行のはずだった。

それでも連日の不眠と、早朝のどうしようもない体のだるさ、気分の悪さには勝てなかった。頭の中では「飛騨牛……」と涙目ながらも、心は「布団の底まで沈みたい……」と、とにかく休息が必要で、行けないとみんなに謝りの連絡をした。

そんななか、友人の一人がこんなメッセージを送ってくれた。

「人生と感情は株価と同じだから、頑張ってコントロールしなくていいの。波がよくない感じで来ているときは、何も決めないで放っておくもんだ」

株価……。

予想の範疇を300kmくらい超えたような言葉に一瞬ぽかんとしてしまったが、次の瞬間なんだか笑えてきた。なんか、人生ゲームみたいだなって。

今私が止まっているマスは、まさに「株が大暴落! 30,000円払う」である。なんなら「一回休み」付きだ。

自分の人生。自分の生活。最近は不調のせいで、こうした「自分のこと」をコントロールできないことが悔しくて仕方なかった。「自分のこと」なのに自分に振り回されていて、わけがわからなくなっていた。

だけど、友人の言葉にハッとした。
人生ゲームでルーレットを回すのは私だけど、今のマスに止まることになったのは、私の意志でもなんでもなく、たまたまだってこと。
自分の体調をみて、飛騨牛をあきらめることを選択したのは私だけど、悪い波と飛騨牛が重なったのは、たまたまだってこと。

そんなふうに考えたら、あぁ、そりゃコントロールできないよなぁ、どうしようもないなぁって。「自分のこと」にも、コントロールが効かない部分があるんだなぁって、初めて知ったのだ。

それに、株が暴落しても、一回休んでも、ありがたいことにその先にあるいろんなマスが消えてなくなるわけじゃあない(「結婚する」「家を買う」……それから「ゴッホの絵を買う」チャンス(?)だってまだある!)。

どんなマスに止まるかはコントロールできることじゃない。でも、どんなマスに止まっても、未来のマスが消えてなくなることはない。

それを知っていれば、悪い波が来ているときも「仕方ないな、今日もまたルーレット回しますか」という気になれるんじゃないだろうか。

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