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新天地。そして離婚

少し時を戻して2020年。

自殺未遂騒動のあと親に連れられ北海道に戻った私は、札幌で暮らす独身の末の弟の家に居候していた。
実家は田舎すぎてすぐに噂が駆け回ってしまうからだ。
そこで2ヶ月ほど静養させてもらった。
弟は何も聞かず、いつも通りで、ほんとうにのびのびさせてもらった。

夫とはまだ別居状態であり、夫はタイの住まいや仕事を引き払ってそのまま沖縄に住んでいた。
時々連絡を取っていて関係は悪くなかったが、元の状態に戻れるようにも思えなかった。
どこかで離婚することになるだろうと思いつつ、お互いに早急に決断して後悔するのも良くないと話し、とりあえず1年は状況を見守ろうという話になっていた。
結婚してからというもの、活動に支障が出ないよう子供を持たないということに決めていたが、このときばかりは子供がいたら大変だっただろうと、自分に子供がいないことを安堵した。

静養中、わたしは考えた。
これからどんな生き方をしていこう?
でもまだ病気も落ち着いておらず、思考はまとまっていなかった。

とりあえず、寒いと体調を崩し働くことさえできない私は、北海道にはいられない!ということだけは確信していた。

両親は実家にいればいいと言ってくれた。環境の良い田舎で、父が夢を叶えてオープンしていた蕎麦屋を手伝うのも悪くはないし、故郷が嫌いなわけでもサラサラないが、寒さからくる体調面、宗教時代の知り合いばかりの狭い田舎で暮らすという精神面を考えても、絶対に無理だったのだ。

そしてわたしは名古屋に行くことにした。
タイから突然降り立った場所、それが名古屋であり、タイで少しおかしくなったときにSNSで知り合った人が名古屋と聞いていたこともあり、なんとなく聞き覚えのあるその土地に住んでみようと思ったのだ。

名古屋の派遣の仕事に応募し、北海道から面接に行った。
ただ長く務められるか不安もあったので、家財一式を買って一人暮らしを始めるのもどうかと思った私は、シェアハウスを選択した。
つい最近自殺未遂騒動を起こしていた私だから、だれか人の目があったほうが親も安心するだろうと思ったのだ。

おしゃれな大きなシェアハウスに少し風変わりの男女の住人たちと暮らすのは楽しかった。
皆私より少し若く、いろんな人生を垣間見ることができた。
一人になりたければ自室にこもればいいし、誰かと話したければリビングにいればいい。
キッチンや洗濯も共同、自分で家財を買う必要がなかったのも助かった。
当時コロナが勢いを増しつつあったが、自重しつつも、食卓を一緒に囲んだりできたので孤独にはならなかった。

名古屋で3ヶ月ほど勤めたあと、夫とやり直してみようという話が持ち上がった。
シェアハウスを出て部屋を借り直し、夫は名古屋に引っ越してきた。
このまま元に戻れるのか、実験するつもりだったが、そもそも神に仕えるという共通の目的、その柱を中心において始まった結婚だったからか、クリスチャンの生き方をやめた私と夫に、以前のような強い絆を持つことは難しかった。

どちらも、これからの生き方を模索しているような状態。
まるで赤ん坊二人のよう。

もう一度二人で取り組める何かを見つければよいのではないかと、夫婦でペンション経営をするという話を進めてみたりもした。そういうサポートをする会社と連絡を取り、私は派遣の仕事もやめ、伊豆に引っ越す準備も始めたのだが、直前で頓挫した。

私の躁状態がテンションを増すと、とても二人で生活できないのだ。また夫を傷つけてしまう。
この病状が落ち着かない限り、二人で生活も、一緒に仕事なんてことも無理だと思った。
やはり、夫婦に戻るというのは現実的ではないと二人で判断した。

すでに派遣の仕事をやめることにしていた私は慌てて家と仕事を探した。

以前から飲食店のアルバイトをよくしていて、食べることも作ることも好きだったので、飲食系の仕事がしたい・・とぼんやり考えていた。
正社員のカフェ店員、保護猫などの事業にもかかわっている会社の求人をみつけ、直感ですぐさま応募した。
すぐ面接していただいたが、コロナ禍で飲食の方は営業をストップしていること、当面は事務のような本部、管理の仕事で良ければ採用できるという話だった。

飲食にこだわっていられるような状況でもなかったので、ありがたくお願いし、新しい住まいも決まった。
バッタバタの引越、今度は初めての一人暮らしと共に、はじめての日本での正社員という初めてづくしが始まった。

2020年9月から、しばらく仕事に打ち込み、色々なことを覚えた。
保護猫の環境についての知識も増え、一緒に飲みに行くような同僚もできた。

夫とは離婚を決めていたが、最後の後悔のないよう、離婚届を出すのは2021年4月1日と決めていた。私の病状次第で環境や心変わりがあり得ると思ったが、いつまでもズルズルしてもしょうがないからと、二人で期限を決めたのだ。4月1日は私達の結婚記念日笑。

そして2021年4月1日。考えの変わらなかった私達は二人仲良く区役所に離婚届を出しに行った。
協議離婚の場合は証人?のサインがいるといわれて受け取ってもらえず、慌てて夫と一緒に私の職場へ行き、同僚二人にサインをお願いした😂今考えてもおかしな離婚エピソードである😂

無事、結婚記念日に離婚届を提出し、ちょっきり17年の結婚生活を卒業した。
人間的に気の合っていた私達は、その後も2,3ヶ月に一度のペースで食事に行っては、近況報告をしたり、最近の恋愛事情を話したりするような友達になった。

つづく・・

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