ディープな世界へ人々を誘う人気の地図研究科【今尾恵介さん】
地図や地名に関する著書を70冊以上執筆されている、地図研究家の今尾恵介さん。「マツコの知らない世界」や「タモリ倶楽部」にも出演。マニアックな内容を一般の人にも分かりやすく紹介する、人気の地図研究家です。『地図帳の深読み』(帝国書院)や『地図マニア 空想の旅』(知のトレッキング叢書)など、いろんな角度から地図を楽しむ術を紹介した著書多数。鉄道の分野も博識で、現在も多方面にて、精力的に取材・執筆活動を行っています。
|至極の一言|
地形図を見ているだけで、景色が浮かび上がって見える。
デジタル化により、地図の楽しみ方もいろいろ
崎谷:地図の魅力的な部分を伺いたいのですが、地形図の魅力を教えてください。
今尾:いろいろな種類の地図がありますが、「地形図は景色が見える地図」と私は昔から言っています。ネットで見られる地図とどこが違うのかといえば、畑や田んぼ、針葉樹林などの「植生」が記載されているところです。住宅地の表記では、密集しているのかいないのか、集落の性質などもわかるように表現されているので、そういう意味で「景色が見える」と表現しています。
また、最近では地図のデジタル化により、違う楽しみも増えました。国土地理院のサイト「地理院地図」では、特定の地名を検索すると、日本全国のどこにその地名があるかが瞬時に表示されます。これは地名の研究をする上でとても便利な機能です。例えば、萢(やち)という地名ですが、この文字を使う地名は青森県の津軽地方にしかありません。そこに何十箇所も集中しているですが、こういったことが、検索すればすぐに分かります。
崎谷:文明の利器と国土地理院が積み重ねてきた地理情報がマッチングしている、すごい機能ですね。
今尾:影をつけて立体的に地形が見られるモードなどは、等高線が苦手な人でも手軽に立体的に地形を把握することができます。以前と比べたら、いろんな面で地図が楽しめるようになってきた時代だと思います。
崎谷:想像力がおありだから、地図の深さが分かるのでしょうか。
今尾:地図は慣れです。地形図も同じです。スマホで地図を見ながら高尾山を登るなんていう場合でも、このぐらいの等高線間隔なら傾斜はこのくらいなんだと、見ながら身体で感じるといいですね。今、どの辺りの標高かなどが分かってくると、地形も少しずつ感覚的に分かるようになってきます。
崎谷:実際の感覚と、図の等高線を合わせていくような感じですね。
以前、古地図を見て、お屋敷の玄関がどこにあるのかが分かるように書いてあるということを知り、地図のルールを知ることも面白いなと思ったことがあります。
今尾:地図というものは、どういう作法で作っているのかという、図式というものが必ずあります。針葉樹林や学校などの記号があらかじめ決められているのもそうですね。
江戸の切絵図は、玄関のある場所に最初の文字を入れる決まりがあります。例えば崎谷さんの家だったら、「崎」の文字が書いてあるところが玄関です。この時代は、表札などはありませんから、玄関の場所は大事な情報でした。大名屋敷などに贈り物を届けるのに、玄関がわからないと困るわけです。そのような実用としても、また、江戸を訪れた人が持ち帰るお土産としても売れました。切絵図を作る業者も幾つかあったので、それだけ需要があったということでしょう。
崎谷:旅先で現地の風景のポストカードを買う感覚で、江戸へ行ったら、その地の地図を買って帰るということですね。
地域の地形を楽しく学べる「たまドリル」を執筆
崎谷:今尾さんと私の接点になりますが、「たまドリル」(けやき出版)という本を現在作成中です。多摩を理解してもらおうと、小・中学生向けに企画したものです。多摩の面白いところを取り上げて、分かりやすく解説しています。
今尾:同じところにずっと住んでいると、見どころがないように思い込んでしまう人もいるかと思います。意外に自分の自治体のことをよく知らなかったりしますね。人間の移動は線ですが、面で見てみると時間がいくらあっても足りないほど面白いものです。
崎谷:日本各地で当て字が使われているなど、面白い地名がありますが、多摩にも地形や地名で面白いところはありますか?
今尾:「はけ」というのもありますね。武蔵野は河岸段丘という地形の崖が多いですが、はけはカタカナで書くことが多いです。これはぴったり来る漢字がないからです。場合によっては金沢八景の「八景」が使われる場合があります。熊本に「八景水谷(はけのみや)」というところがあり、こちらでも崖由来の「ハケ」に「八景」の文字を当てています。崖と書いて「はけ」と読ませる場合もあります。
崎谷:「はけ」といえば、国分寺崖線沿いだと思ってしまいますが、全国にあるのですね。
今尾:崖線はわりと全国にあるのです。武蔵野台地の南の多摩川沿いは河岸段丘となっていますが、段差のあるところを「はけ」と言ったりもします。私の住んでいたところは「侭下(まました)」というところだったのですが、「まま」と「はけ」も違いが難しい。どういったものを「まま」と呼んで、何が「はけ」かというと、地方によって違います。千葉の市川市に真間(まま)という場所がありますが、当て字に使われる漢字も地域によって様々です。漢字は後から入ってきたものなので、行政文書として残さなくてはいけなくなった時に、当時の町をよく知る和尚さんなど、地域のインテリが字を当てた。そうすると、隣町にも伝わるので、近隣地域で同じ字を使っていることが多いです。青森県の萢(やち)もそうですね。津軽地方の踏むと泡がぶくぶく出るイメージの文字が湿地に使われました。
崎谷:お住まいの日野市については、どのような魅力がありますか?
今尾:日野市は地形的に見て面白い場所です。台地・沖積地・段丘がほどよく混在しています。多摩川と浅川が流れ、南側は丘陵地で、丘陵地の原型をそのまま生かした多摩動物公園など、宅地開発が及ばなかったところでは昔からの地形がそのまま残りました。豊田のような場所では、豊田駅の北口と南口の間にちょうど「ハケ」があるので、段差の違いを実感できますね。
また、武蔵野台地は東が低くて西が高いのですが、立川断層の部分だけは東が高くて西が低くなっている。そのため、水が素直に流れないので、昔の地形図を見ると真ん中あたりに田んぼのマークがあるのを確認できます。水がたまって少しずつ南に流れていったのが残堀(ざんぼり)川です。
崎谷:地形の成り立ちを考えると面白いですね。
自然にできた美しい曲線の道を、地形図から想像する面白さ
崎谷:今尾さんは、どのような経緯で地図を好きになったのですか?
今尾:地図にはまったのは、中学1年生の時です。当時は典型的な郊外の新興住宅地に住んでいたのですが、社会科の先生が中学校のある横浜西部の本物の地形図を持ってきて、授業で説明してくれました。それを見てとても感動しました。その後、自分も地形図を買うようになりました。父の職場があった「川崎」と「横浜西部」が初めて買った地形図です。
地図が楽しめるようになったら、人生は安泰だと思いますよ。ずっと楽しめますし、それほどお金もかかりませんし、歩いて回れば健康にもいい。地図に限りませんが、本当に好きなものが見つかれば、人生は楽しいでしょうね。
崎谷:地図は面白いですね。私も曲がり角なんか見ると、ちょっと気になって見てしまうことがあります。
今尾:自然にできた曲がり道は、地形に合わせてできたもので、自然なカーブをしていますね。杓子定規でつくられた道よりも面白みがあります。
山道なども自然にできた道です。人が山を越えるのに一番楽な道を探すので、地形に合わせた道になっています。稜線を見てどの辺りから登った方がいいのか考えられた踏み分け道が、峠道として残っていきます。平地でも丘陵地でも、隣の村へ楽に行く道が、自然と地形の成り立ちがら出来上がっていくので、自然なカーブになっていくのでしょうね。このような土地は、地形図を見ているだけでも景色が想像できるので、面白いです。
profile
地図研究家。『地図でたどる多摩の街道——30市町村をつなぐ道』(けやき出版)、『地図で歩く鉄道の峠』(けやき出版)、『地図帳の深読み』(帝国書院)、『著名崩壊』(角川新書)など著書多数。2017年『地図マニア 空想の旅』(知のトレッキング叢書)で斎藤茂太賞(日本旅行作家協会)、2018年に第43回交通図書賞(交通協力会)、2019年に『日本200年地図』学会賞(日本地図学会)、2020年日本地理学会賞《社会貢献部門》受賞。「マツコの知らない世界」、「タモリ倶楽部」の番組にも出演。現在(一財)日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査及び評議委員、日野市町名地番整理審議委員、深田地質研究所ジオ鉄普及委員会委員。