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デッドラインはありますか?

大学院を卒業する年に友人が誘ってくれた、
デンマークの成人教育機関フォルケ・ホイスコーレの話を聞いたり、
実際に留学してきた人にその手法を再現してもらって受けてみる
というイベントで知り合った康平くんから
お題をしりとりにしてnote書いてみない?
とお誘いを受けた。

最初は「一番好きな家事」

そして「時間旅行をするならば?」

「バス旅の思い出」と続いて

いただいたお題は「デッドラインはありますか」

ふーむ。

実は最初「デッドライン」だったので、
締め切りギリギリにならないと気合が入らず、
デッドライン秒読み、もはや時間切れ...
なんて提出の仕方をした苦い過去をさらそうか
とも思っていたのだけど、

「デッドラインはありますか」
ときた。

少し気になってdeadlineの由来を調べてみると、

もともと、
アメリカの南北戦争時代に捕虜収容所の周り半径17フィートで引かれていた線
ということだった。
その線を越えてしまうと、逃げたとみなされ射殺されてしまうことから「超えてしまうと命が無い線」という意味で使われたそう。
その後、アメリカの新聞業界で、期限を過ぎた原稿は当然ボツになるため記事の価値は「死んだも同然」で、それを書いた記者もクビになってしまうことが多かったため、それを皮肉って「deadline」という言葉を使っていたらしい。

なので、「超えてはならない線」「死線」という意味と、「原稿などの締め切り」に使われるという。


最初に考えていたデッドラインは後者の方。
なので、お題が変わった今、
私にとっての「超えてはならない線」があるのか
というテーマと受け取って考えを巡らせてみたい。

社会人になって1年目、
私は念願の保育士として働き始めた。
しかし、真剣に子どもと向き合う以外の休日ボランティア出勤
などに心身を蝕まれてはや2ヶ月ほどで休職、そして退職を決めた。

これまで学校は皆勤賞、
授業も好きなものしか選ばず一番前で欠かさず聞くタイプだった私は
まさか自分がこんな状況になるなんて信じられなかった。

仕事終わりに近くのスーパーで何か甘いものを手に入れてからでないと
帰路に着く元気もなかった。

そんな私がギリギリ「休む」という選択ができる精神を保てたのは
月に2-3回ある仕舞と京舞の稽古になんとか通い続けていたことが
かなり大きかったのではないかと思う。

復習もできないまま、
とにかく稽古場に身体を運んでいただけだったのだが、

職場と違う空間に向かうということ、
そしてそこで先生が真剣に稽古してくださって、
集中して身体を動かすということ。

どうもこの稽古に余裕を持って向かえない
ということが私にとってのデッドラインのようだ。

1000字程度というデッドラインをとうに超過して
お次のお題は
「香りの記憶」
「からだを見つめ直す」
「影と光」
ここからご自由に。
のんちゃんお願いしまーす♪


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