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何気ない時間を共有できる幸せ

先日、すこし久しぶりに親戚の家に行った。

親戚の家というのは伯母と従姉がふたりで暮らしている家で、今年の正月以降、息抜きを兼ねてときどき遊びに行くようにしている。

ただ、最近なんとなくバタバタしていたのと、伯母が整形外科の手術で入院していたこともあり、最後に行ったのは3月。

約3ヶ月ぶりの訪問になった。

とはいえ、親戚の家では別になにかすごく特別なことをするわけではない。

最近あったこととかなんでもないことを話したり、一緒にごはんを食べたり、テレビを観たり。することといったらそれぐらいだ。

そこにあるのは、ただの日常でしかない。

でも、その日常のありふれた時間を共有できるということが、ものすごく幸せだったりする。

自分の生活を振り返ってみると、特に母を亡くしてからそういう時間が少なくなっている。

だから、自分の好きなバンドの話とか、そのライブに札幌まで遠征した話とか、グッズがめちゃくちゃかわいい話とか。そういうなんでもない話を聞いてもらえることがうれしい。

いとこがひとり時間を極め始めている話とか、伯母が手術を経て歩けるようになってちょっとお出かけしている話とか、そんな話が聞けるのも。

それから、父親への愚痴に共感してもらえることも…笑

そういう何気ない時間を共有できることが、とても貴重で幸せだと感じる。そして今、親戚の家が、わたしにとってそういう場所になっている。

だからこそ、帰った後とてつもなく寂しくなったりもするのだけど…。


そんな親戚の家の面々も、思えば昔とはずいぶん変わった。もとは祖父母と伯父・伯母家族が暮らしていたけれど、祖父母も伯父も亡くなった。

従兄は家を出て、今は年末年始に帰ってくるぐらいだ。

そして、親戚の家に行くときはいつも一緒だったわたしの母も、もういない。

大好きな場所ではあるけれど、それがいつまでも同じように続くわけではないということもまた、ひしひしと感じる。

でも、だからこそ、そこでなんでもない時間を共にできることがとてつもなく幸せなんだと思う。

だから、いま一緒に過ごせる時間とその幸せを噛みしめる。そんな気持ちで、親戚の家での何気ない時間をこれからも大切にしていきたいと思う。

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