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お見舞いに行ったら逆に元気をもらった話

先日、入院中の伯母のお見舞いに行った。

入院といっても大きな病気ではなく、股関節の手術のため。ただ、随分と悪くなるまで放置していたようで、重症だったらしい。

入院すると聞いた時は、お見舞いに行くかちょっと迷った。手術でいろいろ大変な時に押しかけるのもな…と思ったから。

でも、入院生活もきっとそれなりに気が滅入るもの。なんやかんや話し相手がいる方が刺激になっていいかもしれない。

それに、やっぱり大切な人には会える時にできるだけ会っておきたい。今回は大病ではなかったけれど、これから先だっていつ何が起こるか分からないのだ。

そういうわけで、お見舞いに行くことに決めた。

病院がやや不便なところにあり、面会も30分だけなので、伯母からは何度も無理しないでねと念を押された。

でも、上に書いたような気持ちもあって、そんなことでやめようとは思わなかった。


当日、病院に着くと、ちょうど従姉も来て病室に案内してくれた。

しばらくぶりに会う伯母はわりと元気そうで、ひとまず安心。毎日リハビリで、どこまで回復して退院できるか…といったところだそうだ。

しばらくあれこれ話していると、伯母が「なんかコーヒーでも飲みたない?」と言って、ちょっとお茶をすることになった。

もちろん、喫茶店なんかじゃない。病棟の一角にある談話室。あるのは自販機ひとつだけ。

そこの小さな机に伯母と従姉とわたしの3人。

ペットボトルのコーヒーを紙コップに分け合い、伯母がお見舞いでもらったお菓子をお供にほんのひとときを過ごした。

ただそれだけだ。

でも、そのなんでもない数分のことが、なんだかとても尊いものに感じられた。

なんだろう。何気ないことが普通にできる幸せというのか。お互いがお互いのために時間を使う、その温かさというのか。

とてつもなく心が満たされた気がした。


そうこうしている内に面会時間が終わり、伯母に見送られて病院を後にした。

しばらくして、伯母からお礼の連絡が入っていた。

最初はお見舞いに来させるのは迷惑じゃないかと思ったけど応援をもらえた、ありがとうとのこと。

…いやいや、元気をもらったのはむしろわたしの方だ。

たった数分のことだったのに、あの後ずっと心がぽかぽかしていた。

最近のわたしの生活の中で、あの数分がひときわ輝かしいものに思えるぐらい。

元気づけるつもりで行ったお見舞いで、なぜかわたしの方が元気づけられてしまった。そんな不思議なこともあるもんだなと思う。

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