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夏のおとしもの。あるいはただの、鼠の死。

私の足下で、鼠が死んでいた。

今年の夏は特に暑く、連日の猛暑と熱波が続き、時折りやってくる子供の癇癪のような大雨も、泣き疲れて眠ってしまう幼子ように、あっという間に通り過ぎていった。

そんなちぐはぐな気候が続く猛暑日の朝、コンビニの、やけに広い駐車場で、私はその死体に出会ったのだ。


ハツカネズミだろうか、一目見て死体と分かる。
長い尾をした小さな茶色い生き物が、濃灰色の地面の上で、そのささやかな身体を横たえていた。ただそれだけの事だ。


しかし私はその小さな命の亡骸に目を奪われ、しばしの間、立ち尽くしていた。


それは余りにも、綺麗だった。


その身体には捕食者の爪や牙の痕は無く、病や毒餌によってもがき苦しんだ様子もないどころか、蠅の一匹も集っていない。


ただただ眠るように、そっと目を閉じている。


季節は夏、腐敗の足音は確かに彼にも聞こえているはずだが、まるでそれを無視するかのように、ただ安らかに眠っているようだ。


ありふれた死。
今こうしている間にも、この国の至る所で繰り返されている小さな死。


しかしその死体は余りにも、綺麗だった。
ある種の神聖さ、不可侵の神秘、あるいはシュルレアリズムの絵画のような、不自然な美を湛えているその死体。


ふと、ずっと前に亡くなった祖母を思い出す。
自らの死期を悟り、認知機能が衰え始めた頭で死出の旅支度をしていた祖母。
座布団や茶碗を数え、無くなる前日には美容院で髪を整えてから逝った彼女の死に様を、野垂れ死ぬハツカネズミの死体に見た。


もしかしたら彼もまた、旅支度を終えたのかも知れない。
自らの運命を甘受し、ただ泰然と身支度を整え、自然の摂理にその身を預けたのかも知れない。


焼けたアスファルトに身を焦がされ、体温に近い気温によって腐敗が進行しようとも、まるでそれを歓迎するように、ただ安らかに眠る彼。


私は彼に敬意を持った。
死に様と、在り様に。


私はその美しい死体に敬意を払い、何もせぬままその場を立ち去った。
よもや彼の身体がどうなろうとも、私には関係ないと思ったからだ。おそらく彼もまた。

盆が過ぎ、夏が終わる前の晩夏の日。
命と美を見た、夏。

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