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映画はエンディングまで観てこそ


「映画は帰るまでが映画です」


とは、何を隠そう僕の言ですが、映画というのはエンドクレジットも含めて一個の作品であるというのが僕の持論です。

先日、映画などを早送りで視聴する層についての記事が話題になっていましたが、そういうタイプの人とは真逆と言えるかも知れません。

ですが実際、思い返してみると名作・傑作映画というのはお話のまとめ方・〆方が上手く、その後のエンドクレジットに素晴らしい余韻を残す作品ばかり。やはりエンドクレジットを最後まで観てこそ、本当の意味で映画を楽しんだと思える。だなんて考えてしまいます。

という訳で今回は個人的にエンディング素晴らしい映画、より正確に言えばラストシーンからエンドクレジットにかけての一連の流れが美しい映画のお話をしたいと思います。




※※※ネタバレ大量!閲覧注意!※※※




筋肉バカアクションかくあるべし!
『エクスペンダブルズ』

かつて興隆を極めた「筋肉モリモリマッチョマンのスター達がスクリーンの中で大暴れするタイプの映画」で活躍したスター達が一堂に会した事で注目を集めたエクスペンダブルズシリーズの第一作目。
出演陣を見ただけで午後ロー民がむせび泣くような顔ぶれからも分かるとおり、映画の中身ほぼ筋肉!銃撃!爆発!
最後は大団円で打ち上げしながらガッハッハ!
そんな感じの非常に分かりやすい映画ではあるのですが……その映画の終わり方は以下の流れ。

悪党どもを成敗し、メンバー達のたまり場で打ち上げをするエクスペンダブルズの面々。酒も入ってリラックスしたムードの中、ジェイソン・ステイサム演じるリー・クリスマスが得意のナイフを使ってダーツをする事に。
作中でも神業的投げナイフテクニックを魅せていた彼は、仲間達と投げナイフの腕を競っている最中おもむろに店の外へと歩いていきます。
彼はメンバーの悪口をラップのように押韻しながら口にして、余裕の笑みを浮かべます。そんな彼を仲間たちは煽りますが、ダーツ板に背を向けたリーの表情がシリアスなものに変わります。
次の瞬間、獣のように身を翻したリーはナイフを投擲。
驚いて仰け反るメンバーの隙間を抜け、目にも留まらぬ速さでナイフが駆け抜けてダーツ板にドスンッ!という音と同時に

ジャッ~~ン♪         ジャッ~ン♪
 (ドゥドゥドゥドゥンドゥドゥンドゥドゥ~ン)

アイルランドの英雄的バンドThin Lizzyの「Boys Are Back In Town(邦題:ヤツらは町へ)」が流れ出すんですねぇ。

まるで抜群のテンポ感と、キンッキンに冷えたラガーの如き切れ味と喉ごし。
そして何よりこの曲の歌詞と映画との親和性が最高に熱いんです。

Guess who just got back today
Them wild-eyed boys that had been away
Haven't changed that much to say
But man, I still think them cats are crazy

「おい、今日戻ってきた連中を知ってるか?いなくなっちまってた、野生の目をしたガキどもだよ」

元ハードロック少年だった僕はこのエンディングが流れた瞬間に思わず(心の中で)ガッツポーズ。
まるでこの映画のために書き下ろされたかのようなベストマッチ感。さすがロックファンとしても有名なスタローンだなあ、と思わず唸ってしまいました。



映画の対位法、それは絶望の方程式
『未来世紀ブラジル』

鬼才テリー・ギリアム監督の代表作。
情報統制が行き届いた閉塞的な世界を描いた、いわゆるディストピアSFの代表作もありますが、劇場公開版とディレクターズカット版で結末が違いすぎる映画としても有名でもあります。

公務員として真面目に働いてきたのに、ひょんなことから反政府組織に協力する羽目になった主人公サムは色々あってテロリストとして指名手配される事に。
すったもんだの後にとうとう捕まってしまったサムは、拷問係である友人の手によって凄惨非道な拷問を受けるまさにその瞬間、反政府組織の中核メンバーでモグリのダクト修理屋タトルが颯爽と駆けつけサムを救出。
ハリウッド映画らしいドンパチの末、政府の施設から脱出したサムはヒロインのジルと再会し、ジルの運転する大型トラックに乗って、二人は夕日輝く道の向こうへと走り出していくのでした・・・・・・

~ここまでが劇場公開版~

カットが変わり、スクリーンに映し出されるのは呆然とした表情でうな垂れるサムと、その顔を覗き込む友人と敵の黒幕。
実は先ほどまでのハリウッド映画のテンプレ的エンディングは、全くの
あのハッピーエンドは苛烈な拷問によって破壊されたサムの精神が、辛すぎる現実から逃避するために見せた幻影であり、現実世界での彼はもうとっくに廃人と化していましたとさ。
という衝撃的なエンディングを迎えます。
そして最後はだだっぴろい空間(どうやらミサイルサイロのよう)の真ん中にぽつんと置き去りにされたサムを遠ぉーくから映しつつ

「Aquarela do Brasil(ブラジルの水彩画)」が流れます。

当時の僕「ファーーーーーーーwwwwwwwwwwwww」

割りとマジで、そんな声が出ました。
映画館で観なくて良かったと(そもそも公開当時は生まれてませんが)心の底から思います。いや、もう何なんすか、何なんすかこれ。

夢オチは悪。という風潮が根付いて久しいですが、ここまで清々しいともはや感動しかありません。
個人的に「ラストが衝撃的な映画」というと真っ先に浮かぶ映画であります。


沈黙の中、観客の胸に去来するものとは
『サイレンスー沈黙ー』

敬虔なクリスチャンでもある小説家、故・遠藤周作さんの原作小説を巨匠マーティン・スコセッシが映画化し、主要キャストの殆どが日本人という事で非常に話題となった名作。
時は1600年代、日本へ布教に赴いた恩師がキリストを捨てたと聞いた若い宣教師の二人は極秘裏に来日。待ち受ける残酷な現実と、「沼地に木は根付かない」という言葉の真実とは・・・・・・

日本人には馴染みの薄いカトリック的世界観や、いわゆる「考えさせられる映画」という事で、自分の周りでも見た人が非常に少ない映画ではあるのですが、さすがマーティン・スコセッシ。文句なしの傑作に仕上がっています。
そして映画のラスト、日本という「沼地」の正体と幕府側の黒幕・井上筑後守らによる徹底的な責め苦によって、遂にキリスト教を捨ててしまった主人公ロドリゴ。
結局彼は恩師フェレイラ元神父と共に日本に帰化し、舶来品の中からキリスト的なものを選別する仕事に就くことに。
日本人としての名前を得て日本人の妻と結婚した彼は、幕府の下で黙々と働き続け、数十年後日本の地で大往生を遂げます。
そして彼の妻は、棺の中で眠る夫の手の中に何かを見つけるものの、何事も無かったかのように葬儀を済ませ、彼の遺体は荼毘にふされます。
しかし燃え盛る棺の中、ロドリゴの手の中には小さな小さな十字架が握られていたのでした・・・・・・

さて、ここまでの流れからすれば凄い名曲が流れ出しそうな雰囲気ですが、実際にはこの後のエンドクレジット、何も流れません
何も、というのは語弊がありますね。
実際にはエンドクレジットの間中ずっと蝉の音や木々のざわめく音、波の打ち砕ける音等、自然音が流れ続けます。そう、ずっとです。

映画館でこのエンディングを見た時、僕の鼓動はどんどんと強く打ち続け、血圧がじわりじわりと上昇するのを感じました。
そしてエンドクレジットの間中何かを考える余裕など殆ど無く、ただ胸に渦巻く巨大な感情のうねりを抑えるのに必死で、ただひたすらに流れていくエンドクレジットを睨み続けていた記憶があります。
それはエンドクレジットが終わり場内が明るくなってからも一緒で、一瞬立ち上がる事さえ躊躇ったほど、僕の心はぐしゃぐしゃに乱されていました。
僕が観にいったときは映画館がほぼ満席で上映前は結構賑やかだったのですが、明るくなった場内はまさにお通夜。
みな重々しく口を閉じて、心なしかみんな伏目がちでとぼとぼと退場していった光景をよく覚えています。

あのエンディングの後、どんな名曲が流れようともこんな雰囲気にはならなかったはずです。
「あー、面白かったなぁ」で終わっていた可能性すらあります。
しかし、あの映画を最後まで観て、あのエンディングを迎えた瞬間、我々はその沈黙の中に「」を見たはずです。
何があろうともじっと黙って見つめていた神。
信徒の苦難を救ってくれなかった神。
そして人の罪を赦してくださる神。
それをどう思うかは人それぞれだとは思います。
感動する人、怒る人、呆れる人、あるいは何も思わない人。
それでも、2時間半ある映画の後、あの瞬間に訪れた騒がしい沈黙は、最後まで観た人だけに訪れる神聖な時間だったと思います。



悪逆非道!愛は儚く、花火のように……
「ブルーバレンタイン」

恋愛系の映画ではおそらく僕が最も心に残っている傑作映画。恋愛映画ってね、苦手なんですよ。

概要としましては、一組の夫婦が出会って結ばれるまでの数ヶ月と、数年後、二人が破局するまでの1日半を描いた映画であります。いいですねぇ、破局モノ。好物ですよ~(手のひら返し)

そして肝心のエンディングはというと
数え切れないすれ違いの末、堪忍袋の緒が切れた夫・ディーンは妻・シンディの勤める病院へ殴りこみに行く。その事が最後の引き金となって二人は感情的に破局を決意するも、一人娘を預けていたシンディの実家へ引き上げるとディーンの態度は一変。今度はメソメソと泣きじゃくりながら「分かれるだなんて言わないでくれ」とシンディに哀願しますが、涙を湛えたまま怒りの表情を浮かべるシンディはこれを拒絶。とうとう二人は離婚する事となってしまいます。
失意のうちに家を後にするディーンの後ろから、何も知らない愛娘フランキーが追いかけてきます。
「ねえ、パパ、どこ行くの?遊ぼうよ」
「そうだな、じゃあ、かけっこしようか。行くぞ……3.2.1…スタート」
満面の笑みを浮かべながら駆けて行く娘の背中を立ち尽くして見送るディーン。
そして彼は再び背を向けて、たった一人道の向こうへと歩いていきます。
道の向こうでは、近所の子供達が打ち上げ花火を上げていて……


当時の僕「ああ……なんて切ない映画なんだ……」


すると場面が暗転、と同時に画面下から打ち上げ花火が次々と打ち上がり、それに照らされるように幸せだった頃のディーンとシンディの姿が映し出されていきます。


当時の僕「えっ…………あっ……あっ………」


そして一際大きな花火が画面中央で花開くと同時に、二人が抱き合ってキスする写真をバックにドドンとでっかく


BLUE VALENTINE


当時の僕「ひっ……人でなしぃぃぃぃぃぃぃ~~!!!!!!

次々と打ちあがる花火と、ディーンとシンディの幸福で愛おしくかけがえのなかった時間たち。
これがハッピーエンドであれば「良かったね~」という ニッコリ笑顔で見られるはずのラブラブショットですが、観客側は二人の結末を既に散々、嫌というほど見せられているわけで……

これは空腹に喘ぐ路上生活者の前で米沢牛のステーキを頬張ったり、限度額いっぱいの貯金通帳を見せびらかす行為。あるいはどんなにガチャを回しても強キャラが出ないのにTwitterのタイムラインの面々は次々引いていくあの光景(おい!そこのお前だよお前!僕にもセイウンスカイちゃんを引かせろ!)に等しい非人道的行為。ここに国連があったなら経済制裁が満場一致で可決されるレベルの悪辣な行為としかいい様がありません。

おい!僕のメンタルになんて事をしてくれたんだ!!ありがとう!!法廷で会おう!!愛してるよ監督ぅー!!!



さて、そんな感じですがいかがでししょう。
皆さんの中にも本編が終わってからエンドクレジットまでの、あの瞬間が好きな人、多いんじゃないでしょうか?


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