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スピッツ/インディゴ地平線

2.インディゴ地平線/スピッツ


多くのアーティストや音楽ファンへの質問で「初めて買ったCD(レコード)は?」といった質問があるが、大抵はその人の音楽性や嗜好とは違う作品が挙げられる事が多いような気がする。


ぼくの場合は、それがスピッツの「インディゴ地平線だった」
確かあれは小学校5年性の頃だったかと思う。
当時思春期に差し掛かろうとしていた同級生に触発されてか、大人っぽいものへの憧れを持ち始めていた。

そのひとつが「音楽を聴く」「好きなアーティストを持つことだった」。

今考えれば何ともズレた発想だったが、当時のぼくにはそれは至上命題だったのだ。
当時(1999年)は、音楽系のサイトもまだまだ少なかったとはいえ、テレビでは音楽番組が沢山放映され、情報はいくらでもあった。
にも関わらずぼくは、父親のCDラックから自分が愛すべきアーティストを探した。


そんな時に出会ったのがスピッツの「君が思い出になる前に」だったのだ。


そこから本当にスピッツにハマってしまい、そこで出会ったのが「インディゴ地平線」である。
何故「インディゴ地平線」だったのかについては後に述べるが、このアルバムの印象を端的に言ってしまえば「ワクワクさせられる変なアルバム」。

当時のスピッツは前作「ハチミツ」収録の「ロビンソン」の大ヒットを契機に一躍トップバンドの仲間入りを果たしたばかりで、"あのスピッツ"の次回作という事で、かなりの期待を寄せられていたはずである。

名盤の次作というのは、いつかまとめてレビューしてみたいトピックではあるが、概ね2つに分けられる印象がある。
1つは前作の発展・継続型、もう1つは変化球型である。
後者の代表例と言えばプリンスだろう。
大ヒットアルバム「Purple Rain」ではミネアポリスサウンド全開のファンキーさとハードロックサウンドを融合させた作品だったが、次回作「Around the World in a Day」ではもっとポップでサイケな音世界を繰り広げ、当時世間を騒がせたと伝えられている。


この「インディゴ地平線」もどちらかと言えば後者、変化球系の次回作だ。
このアルバムにはこれまでと違い、草野マサムネ以外のメンバーが作曲した楽曲が3曲も収録されており、それだけでも非常に特異なアルバムである。

ましてそれが1曲目の「花泥棒」から、いきなり三輪テツヤ作曲のファストなパンクナンバーから始まるともなれば、このアルバムの特異性が伝わると思う。
今となってはスピッツが元々パンクバンドを志向していた事を知っているが、当時は少々面食らった記憶がある。歌詞も非常にストレートで、イントロだけでスピッツだと分かる人はいないのではないだろうか。

続く「初恋クレイジー」もよくよく考えればちょっとスピッツらしくない。
ピアノのイントロから始まるミッドテンポの楽曲だが、ここまでピアノがフィーチャーされた楽曲は少ないイメージがある。

続くは表題曲「インディゴ地平線」
広大な草原を思わせるイントロと一歩ずつ踏みしめていくようなテンポ感、どこかやさぐれたような歌詞も良い。

今回改めて聴き返していて改めて感嘆したのが4曲目の「渚」だ。
これまたスピッツっぽくない打ち込みのシーケンスフレーズから始まるこの曲は曲が進むにつれてアコギ→エレキギター→エレキベース→ドラムと楽器が増えていくが、特にリズム隊2人の入り方が異様なほどカッコいい。
サビ直前でスルリと入り込むベース田村明浩の存在感と、スネアの一打で空気を変えてしまうドラム崎山竜男の技量の高さにただただ脱帽するばかり。
名曲とは知れば知るほど好きになるものなのだと改めて感じた。

続く2曲は少しリラックスしたようなテイストの「ハヤテ」と「ナナへの気持ち」
「ハヤテ」は突然訪れた恋ともどかしい懊悩の歌と解釈しているが、対象の女性何となく、個人的に、ショートヘアの女性を連想させる。
恐らくこの曲に通底するモヤモヤ感の奥にある爽やかさに起因していると思うが、当時同級生のボーイッシュな女子に対して「ハヤテみたいな子だ」と思った記憶が微かにある。

「ナナへの気持ち」は草野マサムネ自ら『コギャル讃歌』と言っていたように、奔放でちょっと癖の強い、派手目だけどお金はかかってないような(あるいはちょっとだらしない)女性についての歌だが、のんびりとした曲調の中にしれっと『君と生きて行くことを決めた』という辺りがいかにも草野節である。


さて続く7曲目、「虹を越えて」であるが、実はこの曲は個人的に「インディゴ地平線」の中で最も思い出深い曲である。

そもそも、何故「君が思い出になる前に」でスピッツに出会ったぼくが、「Crispy」では無く「インディゴ地平線」を買ったのかという話であるが、単純な話、父親がカセットテープにダビングして持っていたからである。

息子が突然スピッツにハマった事を知った父が、車で聴かせてくれたのだと記憶しているのだが、ここで2つの偶然が起きた。

ひとつはA面とB面を逆に再生した事。そのせいでぼくはしばらく「虹を越えて」がこのアルバムの1曲目だと思っていた。

もうひとつはカセットテープが伸びていた事だ。
現役を知っている世代ならピンとくるだろうが、カセットは劣化して"伸びる"と、音がビヨンビヨンでデロデロな変な音になる。
更に言えば、我が家のカセットの場合「虹を越えて」のイントロ前半部分だけが伸びていたせいで、非常に前衛的でプログレッシブなサウンドになってしまったのである。

当然当時はそんな言葉や表現を知らないが、それゆえに「すっげー!おもしれー!」と無邪気に感動してしまったせいで、未だに、"正しい"イントロには違和感を感じてしまう。
もうあのカセットはどこに行ってしまったか分からない、あの時間にしか存在しなかったカセットになってしまった。

だから私にとって「インディゴ地平線」の1曲目は今でも「虹を越えて」なのである。


続く8曲目は「バニーガール」
『裸は1人でもなるけど、バニーは男のためにしかならないから裸よりエッチだ』とは草野氏の談。
一般的なイメージからは外れるかも知れないが、スピッツは時々ヤンチャな歌詞が出てくる事がある。
この曲のサビ「オンリーユーの合図で回り始める君と堕ちてく」の辺りなど、大友康平あたりが歌っていても違和感が無い。
そんな新たな側面を見せてくれるのも、このアルバムの良いところである。

続いては田村明浩作が2曲続く。「ほうき星」と「マフラーマン」である。
サイケデリックなイントロも衝撃的だったが、そんな楽曲に爽やかな草野マサムネの声がどう絡むかと思うと、その爽やかさが帰ってどこか遠い世界を思わせる感触に変わり、タイトル通り宇宙を思わせる。

「マフラーマン」は仮面ライダーをイメージに作られた曲だが、ハードロック/ヘヴィメタルファンとしても有名な田村氏らしいハードロックナンバーになっている。

続いては"実質"アルバムの最後を飾る「夕陽が笑う君も笑う」
爽やかで疾走感溢れるナンバーとなっており、歌詞もかなりストレートで普遍性の高い楽曲となっている。
タイトル通り夕焼けをイメージさせるポジティブな楽曲故に、もう一曲あるはずなのにアルバムとしてはここで完結したように感じてしまうのもやむなしと言った所だろう。


最後を飾るのは説明不要の大名曲「チェリー」
先に述べた通り、前曲で既に終わった感が出ている事や曲調自体がアルバムの雰囲気からズレるため、正直ボーナストラック感が否めない。
しかし、何せ相手は平成を代表するヒット曲「チェリー」である。
ここはスピッツからのサービス、デザートとして楽しんで欲しい。


さて、このアルバムをキッカケに本格的にスピッツにハマる事となるが、今思えば後にハマる要素が大体揃ってた事に気づく。
ここからすぐ後にはハードロックやヘヴィメタルにハマる事となるし、長じてからはパンクやサイケデリックロックも聴き始め、伸びたカセットテープによる想定外の音色変化も後にハマるインダストリアルやダブのような音楽にも通づるかも知れない。
直接は繋がらずとも、そのハードルを下げる効果はあっただろうと考えると、やはり音楽の原体験がもたらす影響は思っている以上に大きいのだなと改めて思った。

今ではすっかりオジサンオバサン世代が聴くベテランロックバンドになって久しいが、いつまでも元気にやってほしいものである。

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