Fire Ball/Book of life
3.Book of Life/Fire Ball
幼少期は学校が嫌いだった。
今思えば、後に発覚するADHD気質から来る周囲とのズレのせいだったのかも、なんて思うが、まあとにかく学校が嫌いだった。
そんなぼくの前に現れたのが、落第教師Y先生である。
教員試験に5年連続で落ちる。コンビニバイト時代に商品を友人にタダで譲る。「授業したくねえな」と言い出して生徒と体育館でドッジボールを始める。とにかく無茶苦茶であり得ないダメ教師だった。
そんなY先生の教師人生1年目、人生初の担任クラスが、ぼくのいる5年2組だったのである。
当時既に陰キャ街道を驀進中だったぼくは、このお世辞にも大人とは思えない、30歳の新任教師の事が大好きになってしまったのだ。
いつの時代も破戒者やアウトローといった属性の人間に、人は惹かれるものである。
何をしでかすか分からない担任教師と、クラス替えによって新たに出来た友人のお陰で、ぼくの学校生活は一気に楽しいものとなった。
そんなY先生がある時、学生時代に旅行で行った南国の話をしてくれた。とにかくビーチが綺麗で楽しかったとか割とありきたりな話ではあったが、ぼくは初めて聞く国の名前に興味津々だった。
それはジャマイカという国である。
小学校を卒業して中学に入り、お小遣いを増額してもらったぼくは近所のTSUTAYAに作られたとある棚を眺めていた。
当時にわかに注目を集めていたレゲエの棚である。
ちょうど前年に三木道三の「Lifetime Respect」が大ヒットを飛ばしていた事もあってか、商品点数の少ない田舎のTSUTAYAにしてはなかなか気合の入ったコーナーになっていて、棚が丸ごと1つレゲエコーナーになっていた。
その頃すでにレゲエはジャマイカ発祥の音楽である事を知っていたぼくは、大好きだったY先生の事を思い出しながら、Home Grownの「Home Grown」を手に取ったのである。
今にして思えば、初っ端からなかなかのモノを手にしたと思うが、当時はあまりハマらずたまに聴く程度に留まった。
時を同じくして、我が家にケーブルテレビがやってきた。
数あるチャンネルの中でも特に好きだったのが、古いテレビ番組の再放送ばかりやっているファミリー劇場と一日中音楽番組をやっているスペースシャワーTVである。
中学2年生になったある日、スペースシャワーTVをつけてみたら、真っ黒な背景に真っ黒な服を着た男性4人が聞いた事もない変な歌を歌う謎の映像が流れてきたのだ。
また別の日にスペースシャワーTVをつけると、今度はどこかで聴いた事のある声の変な歌が聴こえてきた。
間違いない、あの連中だ。
真っ黒な服で真っ黒な場所に立ちひたすら変な曲を歌う4人組。間違いない。
そこで初めて知ったのは彼らの名前は「Fire Ball」だという。
そして遂にとある日、そのFire Ballがレゲエの棚に置いてある事に気づいたのだ。
それがぼくと初めて借りたアルバムは彼らのデビューアルバム「火の玉」だった。
Fire Ballと言えば東のレゲエ中心地・横浜からデビューしたダンスホールレゲエグループ。
同時代に活躍したジャマイカのDeejayグループT.O.K同様、男性コーラスをフィーチャーした音楽性で2000年代のジャパレゲムーブメントの中心的グループである。
そして日本語ラップを聴く合間に「火の玉」を聴いていると、Fire Ballが2ndアルバムをリリースするということで、スペースシャワーTVから猛プッシュを受け始め、そこでヘビーローテーションされていたのが、「Book of Life」収録の「Da Bala」だったのである。
恥を忍んでいえば「Book of Life」の第一印象は「怖い」「ミステリアス」であった。
もちろんいかにもレゲエといった明るい曲も多いのだが、このアルバムの実質オープニングトラックとなる「到来」やシングルカットされた「Da Bala」や「KICK UP」など、ダークでミステリアスな楽曲が特に目立っていたからだ。
それは地元の真っ暗な夜道のような怖さでは無く、大都市の真ん中にある場末のアンダーグラウンドなクラブのような、顔のない人々が踊り狂うような不気味さ。
初めて聴く謎の音楽に、ぼくはお化け屋敷を覗くような不思議な高揚感に包まれていた。
後にブラックメタルなどを聞き出す事を考えれば本当に笑ってしまう話なのだが、中学一年生のぼくにとってはFire Ballが最もダークな音楽だったのだ。
5曲目の明るいレゲエナンバー「Simmer Down〜Rudeboy Remember」の能天気さも、ホラー映画の合間に差し込まれる日常パートように感じてしまいかえって怖く感じた記憶がある。
そしてこのアルバムの中でも思い出深い曲と言えば「平和依存」もなかなか思い出深い。
当時は日本語ラップを聴き始め、キングギドラなどのハードコア系を知ったばかり。
しかも本当に偶然なのだが、通っていた中学の図書室にレゲエの先駆者ボブ・マーリーの伝記本が置いてあった事もあり、ポリティカルな音楽というものに興味が湧いていた時期である。
この「平和依存」は『Hey,War is on』とかかったタイトルで、戦時下の狂った有様を歌った曲だが、当時のぼくは「来た来た!コレコレ!」と思った記憶がある。
(閣下と呼ばれる位の人がやたら軍曹に話しかけるトンチキミリタリー観に今では笑ってしまうが)
そして、最後の曲「JUNGLE ROOTS」も思い出深い。
真夏の西日に焼かれるような熱い楽器隊と力強い歌詞に、陰キャ真っ盛りのぼくは随分勇気づけられた。
彼らはこの後毎年のようにアルバムをリリースし、当時のジャパレゲブームに乗ってドンドンビッグスターへと上り詰めて行くが、初期Fire Ballの持つアングラ臭さとミステリアスさは今聴いても癖になる。
今では当時ほどレゲエを聴かなくなってしまったが、この頃出会ったアーティストは今でも聴いてしまう。Fire Ballはその筆頭だ。
きっと一生聴いていく事になるのだろう。
レゲエを教えてくれたY先生の思い出と共に。
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