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レイプ被害にあうということ

先日フラッシュバックを起こした。被害からもう15年が経つ。久しぶりではあるものの、それでも「未だに」である。

痛みは記憶として残る。
そんなことを聞いたことがある。私は今まさにそれを感じている。15年を経た今、記憶はあやふやになってきているのに、痛みの記憶だけは新鮮なままだ。そして痛みとともに、紐付けられた様々な記憶が蘇る。私が見る、色の少ない景色の中で、唯一の鮮やかな記憶だ。

鮮やかな記憶は心に刺さる。その記憶を箱の中に押し込めて、なんとかセピア色にする。私はそのような作業を、何度も何度も繰り返し行ってきた。何年もかけて過去の出来事を整理し、記憶は色褪せ、自分のことを責めることも減り、恥じる気持ちも和らいだ。低めながら、安定した生活を送ることができるようになった。それでもいきなりトップギアに入る。それがフラッシュバックと呼ばれるものだ。

私は今、エネルギーが低下した状態なので、犯人を憎んだり、恨んだりすることが難しい。だからそれよりも知りたいことがある。15年も経てば、加害者も結婚したり、子どもができたりしているだろう。もし、加害者に女の子どもが産まれていたら…そしてもし、その子がレイプの被害にあったら…私のように苦しむことがあったら、彼らはどう思うのだろう?

過去の自分を呪うのか?
それとももう私のことなど忘れているだろうか?
何も思わないのか?
娘とともに悲しむのか?
犯人を殺してやりたいほど恨むのか?

レイプ被害にあうということは、形造られた自分というものを、粉々にされるということだ。そして色を失い、感情を奪われ、いつぽっきり折れるかもわからないような細い軸で、粉々になった自分の欠片を、自身で一生拾い続けなければいけない。

だから私は聞いてみたい。私が欠片を拾い集めている間、彼らはどう生きてきたのか…。

彼らを許すことはできない。しかしできることなら更生していてほしい。犯人を憎み、恨むことが許されるような父であってほしいと、心から願っている。

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