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⑮自殺未遂の後遺症

この頃何度も自殺未遂をした。
救急病院の医師に顔も名前も覚えられるほどの
常連だったが、先生たちはいつも嫌な顔ひとつせず
「よく生きたまま来たね」と褒めてくれた。

私はODを繰り返した。夜になると眠りたいという衝動にかられ、ODをする。とにかく辛くてしんどくて、そこから逃げたかった。首を吊ったりもした。死ぬことより生きることのほうが怖くなっていたから。

精神科への通院は1週間おきだった。たくさん薬が出せないから。ひどいときは週に3回くらい受診していた。精神科の主治医や救急で診てくれた医師など色々な人に入院を勧められながらも、頑なに拒否していた。

それと同時にカウンセリングにも通っていた。M先生にはレイプのことも比較的早期に話すことがてきた。この頃は何かあると、とりあえずM先生に相談して、話を聞いてもらっていた。M先生は唯一入院という切り札を使わなかった。他の人は皆、何かあると「それ以上やったら入院だよ」「もうここでは診てあげられない」などと言った。もちろん私の命を守るためだ。しかし私にとっては脅迫でしかなかった。

何度目かのODの時、私は今まで以上に大量の薬を飲んだ。処方薬に市販薬、ありとあらゆる薬を飲んだ。このとき飲んだ薬は、現在では販売中止になっているような「危ない薬」も含まれており、心臓や肝臓に特にダメージを与えるものだった。そしてマンションのベランダから飛び降りた。死ぬためだった。

生死をさまよいながらも目を覚ました私に、彼氏が聞いた。「死ねなくて残念?それとも良かった?」私は「どっちでも良かった」と答えた。彼は苦笑いをして私の手を握り、そして泣いた。彼をよく見ると、顔には無精髭が生えてまるでおじさんのようで、疲れているようにも見えた。おしゃれで清潔感のある彼はそこにいなかった。彼をこんな風にしたのは私なのだ。私はひどいことをしている。そう感じた。

しばらくすると身体も回復し、退院することができた。ただ肝臓のダメージは大きく、しばらく通院することになった。飲める薬は限られ、飲酒も禁止された。それから左手の指の自由を失った。日常生活には然程問題のないレベルだが、好きだったピアノを弾くのは難しくなった。

不思議なことであるが、私はこのあとから現在に至るまで自殺未遂をしていない。ただの一度も。しかし死にたい気持ちが消えたわけではなかった。自分を傷つけたいという気持ちは今でもきえずにある。その気持ちを表現する方法が変わっただけだった。

サポートなしでも生きていけるので大丈夫です。もしサポートしていただけるなら、自分へのご褒美として、美味しいものを飲んだり食べたりします(人´3`*)~♪