記憶

3月の初め。就活がそろそろ本格的に始まるころ。私がまだLDSの価値を知らないころ。

 私は自分の思考力に小さくはない自信を持っていて、論理的な考え方のできる人間であると自負をしていた。GENTENから始まった私の自己分析、その結果はほとんど「考えることができる」に集約されていた。

 意志を強く持っている
 頭の回転が速い
 リーダーシップをとることができる

 綺麗な言葉を使えばこんなものだ。客観的に見て自分がどのくらいの能力を持っていたのかは分からないけれど、成果はそれなりに出ていたし、まったくの無能ということはなかっただろうと思う。

 だけど、私はずっと自分に満足できなかった。

 もっと高い能力を持ってなきゃだめだ。
 なんでもできる人間にならなくては。
 無能な私に価値なんてない。

 もっとずっと高いところを目指し続けなければならないと思っていた。きっと、それが人生なのだと。死ぬまで高みを目指す。それが、美しいのだと、正しいのだと、そう思い込んでいた。

 キャリアアップができる企業を受けなさいと、就活エージェントがいった。
 弊社でなら若いうちでの自己成長ができますと、ほとんどの企業がいった。
 できるだけ早く出世したいねと、同級生がいった。

 私は周りの声に流されて、会社に入ってキャリアを積むことだけが正解なのだと思っていた。そのためには、自分のできないことをできるように、努力を重ねなければならなかった。たとえ苦しくても、楽しくなくても、上を目指すことがすべてだった。

 私がLDSの存在を知ったのは、そんな頃だった。
 細かいことはよく覚えていないけれど、説明を受けたときに「自分で自分を認められない」というようなことをいった気がする。
 そうしたら、「過去の自分にありがとうといってごらん」と言われた。正直、それに何の意味があるのか分からなかった。私は少々気恥ずかしく思いながら、目の前に過去の自分を思い描いてみた。
 緑のジャージ姿の中学生。一番苦しんでいたころの自分。私の頭のなかの彼女は、暗くて自信のない顔をしていた。

「たまちゃん、ありがとう」

 たった二言。何もない空間に向かって、言葉を発しただけ。
 なのに私、泣いてしまった。
 どうしてこんなに涙が出てくるのか分からなかった。それでも、自分のなかで何かが変わった。少しだけ、自分のことを好きだと思えた。

 こういう経緯を踏まえて、私はLDSに投資することに決めたのだった。

 事前研修が始まり、だんだんとみんなの顔を認知するようになる。GENTENのときに見かけた顔がいくつもあって、少しだけ安堵した。
 初めてのペアトークは、声をかけてきてくれた人から始まった。たっかー、いがっちの順でペアトークをしたのだけれど、二人とも「彼氏はいますか」って質問をしてきて少しだけ慄いた。あれ、こういうコミュニティなのかな、と。結果的に不安に思っていたようなことはなくて、二人とも知れば知るほど面白い人だった。
 
 初めての衝撃は、第一回の合宿の時に訪れた。

「おれ、たまちゃんのせいだと思って・・・」

 セラがうつむいてぼそぼそという。四人五脚、終わった後のグループトーク。
 自分がうまくできなかった自覚のあった私は、黙ってその言葉を聞いていた。

 ああ、思い出したくなかったこの感覚。小学生のころ、よく感じていた感覚。自分の無能さを疎ましがられている実感。どうしようもないことを、それでも自分が悪いと自覚していることを、まざまざと見せつけられる居心地の悪さ。
 私は、自分の無能を申し訳ないと思った。
 そうだった。私は、こういう気分をずっと味わっていて、だからこそ自分の価値を高め続けないといけないと思ったのだった。
 中学に入ってからは頭の良さで自分の価値をごまかしていたけれど、それでも素の私はやっぱり無能だった。
 自分のできなさを目前にして、私は心が固まってしまったような心地がした。

 ペアを変えてのグループトーク。
「私、自分が全然できなかったから申し訳なかったです」
 そんなようなシェアをした気がする。
 そうしたら、うつむいたままの私の背中を、ぐっちさんが叩いてくれた。
「たまちゃん、楽しく生きようよ」
 その言葉になぜだか胸が詰まった。
 目頭が熱くなる。 
 奥歯をぎゅっとかみしめた。
(なんでこんなところで泣くんだ私。大丈夫、まだ泣いてない。落ち着けば、大丈夫)
 不意に訪れた感情の波を必死に抑え込む。
 こんな何もないところで泣く女子は面倒くさい。そんな女子にはなりたくない。

「次は、飛ばすよ!」

 無表情を取り繕う私をよそに、場は胴上げへと移っていく。

「最初は、たまちゃん!」

 急に名前を呼ばれてびっくりした。なんで私なのだろうと思った。
 何もいう暇もなく、流されるままに抱えあげられる。
 高い。
 
「せーのっ」

 体が宙に浮く。予想以上に高い。
 周りからみんなの歓声が聞こえる。
 二度三度、浮遊感を味わう。

 体が浮く度に、堪えていた涙が一粒二粒、零れ落ちた。
 そこからはあまり覚えていない。ただひたすら、みんなの前で涙をこぼさないように奥歯をかみしめていた。
 気が付けば、まほが隣にいてくれた。
 なにを聞くわけでもなく、黙って肩をさすってくれた。
 その沈黙がとてもありがたかった。
 
「高いところ苦手だった?」
 誰かが聞いてくれた。違う、そういうわけじゃない。
「感極まっちゃったかな?」
 ぐっちさんが近づいてきてくれた。私は首を横に振った。
「わかんない・・・」
 分かんない分かんない、なんで自分の瞳が潤むのか、喉から何かがせりあがってくるような心地がするのか、全然分かんない。
 泣くことじゃない。
 悲しむことじゃない。
 黙って受け入れろ。
 笑ってごまかせ。
 今までそうやって生きてきたじゃないか!

 理性の声は感情に届かない。

 だいちゃんが背中を力強く押してくれた。
 たけさんが肩をたたいてくれた。
 
 やめて!今優しくされたら泣いてしまう!

 奥歯を噛んで、必死に堪えて、私はその場をやり過ごした。

 翌日のこと。山に登る前のペアトーク。
「昨日泣いてたじゃん。どうしたの?」
 声をかけてくれたのははやせだった。たぶん、気を遣いながら聞いてきてくれてる。
 私は、フラットに話せるように心がけた。
「昨日の四人五脚で、私うまくできなくて落ち込んだんだけど、そうしたらぐっちさんが楽しく生きようよって言ってくれて…」
 ここで、また喉が詰まった。
「私、これまで全然楽しく生きてこなかったなって…」
 泣くつもりなんかなかった。
 人前で泣いて、慰めを求めるような人間になりたくなかった。
 それでも、視界は涙でにじむ。
 ここで泣いたらはやせが困る。
 そう思ったけど、予想に反してはやせは優しく肩を叩いてくれた。
「おれは、生きるのは権利だと思ってるよ」
 私がこぼす言葉に一つ一つ、真摯に応えを返してくれた。
 私は自分が何に傷ついているのかよく分からなかったから、途中でたぶんとんちんかんなことを言ったと思う。感情を思考で言葉にしようとするのは、きっと私の良くないところ。それでも、ちゃんと聞いてくれた。なにより、私なんかのことを気にかけてくれた、それだけでもすごく嬉しかった。
 そのあとにゆうととペアトークをして、ゆうとも私の話をちゃんと聞いてくれた。こんなに優しくしてもらったのは久しぶりだった。
今までしっかり者で頼れる人間を演じてきて、誰かに助けられるより誰かを助けることの方が多かった。そんな私が求められていた。だから、なんの見返りも求めずに私のことを気にかけてくれる人がいてくれて、すごく嬉しかった。
 人間って優しいんだなって、そう思った。

 でも、ごめんなさい。
 私は、はやせの言葉も、ゆうとの言葉も、そのあとに話したそんはんの言葉も、全然ちゃんと受け取ることができなかった。
 すごくいいことを言ってくれてるのは理性では分かる。でも、感情では理解できなかった。心に全然響かなかった。
 

 一回目の合宿は、心がぐちゃぐちゃになった二日間だった。楽しかったとか、そういうベクトルの時間ではなかったけれど、とても大切な時間になった。


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