台湾留学で病んだ話 part4 自費はつらい

学校に行く為じゃなくても、街に出ると大きな声や音に敏感になって常に怒られているような感じがして、家にこもりがちになったのは、学校が始まってから1ヶ月とちょっとした頃。

やはり、病院に行ってみるのがいいのだろうと彼氏に諭されて最初に重い身体をひきづってたどり着いたのはカウンセリング式の病院だった。


病室に入ってカウンセリングの先生が入ってきた瞬間に何故だかわからないけれどもう泣き始めてしまって、話も全然できなかったのを今でもよく覚えている。

中国語しかわからない先生と、一生懸命へたっぴな中国語で私の当時の気持ちを話した。先生は最後にリラックスする呼吸法(?)をレクチャーしてくれて一時間のセッションは終了。


当時国民保険にまだ加入していなかったから、1万円以上の額を払ったあと病院を後にした。その時何かが変わったかと問われても、正直あんまり。

その後心療内科の先生が下した診断は、適応障害に伴ううつ状態だった。


まさか自分がこんなにも憧れていた場所で、心の病になるとは思ってもいなかった。診断を受けた瞬間、ほっとした自分と、今後この病気を理由に自分に甘えて堕落してしまうのじゃないかという複雑な気分になった。

適応障害の原因が学校である、と明確になっていた分。処方箋と休養でみるみる元気になっていった自分に正直呆れ、同時にこれから迫られる色々な選択をずっと後回しにし、彼氏に頼って生活する日々が続いていた。

友達と会えばいいじゃん?
でも、すぐ泣いてしまって相手を困らせたらどうしよう。
しかもいきなり重い話をするのもなんかなあ。

気晴らしにお茶するだけでもいいじゃん?
でも、昔仲良かった気の合う友達は男の子が多くて、
彼氏には男の子と出かけるのは禁止って言われてるから。

自分自身を良い方向に持っていこうとしてくれる声と、ビビりで何事も踏み出せない声が心の中で永遠に討論し続けていた。

結果、この討論で出た答えは、他人のせいにすることでしかなかった。
そう。彼氏が社会復帰を遠のけてしまっている原因の一つではないかと考えた。

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追記:今を思えば、これだけ世話をしてくれた人に、正に恩を仇で返すようなことをしてしまって申し訳ない気持ちでしかない。
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彼氏を別れた。

処方箋の量を減らしてもらった。

これをきっかけに環境を変えて、引っ越しをし、復帰までのモチベーションを整えた。次の学期からの復帰を目指して。

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