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6/19〜6/25 あの時、母からもらったもの。
ここ数日は、身体だけ神戸にあるような感じで、なんだかそわそわした感覚が続いていた。
さっき、宅急便で三島から荷物が届いた。額装した絵たちや、読んでいる途中だった本たちが棚に置かれ、やっと「帰ってきたんだ」と落ち着いた。
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先週は、行ってみたかった荻窪の本屋さんに行くことができた。
おはようございます。2階ギャラリーでは堀川理万子 『海のアトリエ』原画展を開催中。子どものころ、近所に住んでいた女性の画家の先生に絵を習っていた堀川さん。その人は堀川さんにとってはじめての「子どもあつかいしない」大人だった。記憶が見事な作品となりました。
— Title(タイトル) (@Title_books) June 24, 2021
奥のカフェも営業中です。 pic.twitter.com/ElCFgHTYUG
2階のギャラリーに飾られていた絵本の原画が、とてもよかった。女の子と画家さんの〈あいだ〉に、いろんなものが含まれていて、それを言葉にせずただ見守っている〈青色〉と〈風〉が、よかった。帰り道もずっと傍にあるような感じがした。
この絵本は、学校に行けなくなった女の子が、1週間ある画家さんのところへ行き、ふたりで過ごすお話だった。
お話を知る前(原画だけを見た時)、私はこの画家さんのことを「お母さん」だと誤読してしまったのだけれど、それはきっと自分自身の体験がそうさせたんだと思う。
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小学4年生の頃、学校に行けない日々が何ヶ月かあった。理由が明確にあったわけではなくて、ただ朝になるとお腹が痛くなって学校に行けなかった。
そんな時、私の母は毎日いろんなところへドライブに連れていってくれた。どんな話をしたのかは憶えていないけれど、車内に流れる音楽があたたかくて、泣きそうになっていた鼻のツーンとした感じは憶えている。
母は、その頃から絵を描くようになった。元々はピアノの先生だったけれど、歌も歌うようになった。
わたしの母の絵。
— 𝓉𝒶𝓂𝒶 (@ta213ma) November 21, 2019
彼女の絵がとても好き。本当に好き。
いつか、一緒に個展を開くのが夢。そしたら母には絵の前でピアノも弾いてもらうんだ。そして私はその隣で歌うんだ。 pic.twitter.com/oB34md2GFD
そんな母を見ていたからか、私も絵を描くようになり、大好きな合唱をはじめたのもこの時期だった。歌が、絵が、生きていることに色をつけてくれたような感じがした。
きっと私があの時母からもらったものは、「いきいきと生きる」ことだったのだと思う。母は、「生きるって、味わうこともできるのよ」と隣で見せてくれていたのかもしれない。
その記憶が、この絵本と自然と重なってしまったのだと思う。
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もうすぐ母の誕生日だったので、この絵本を、母にプレゼントした。母も、私も、なんだか泣いてしまった。
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— 𝓉𝒶𝓂𝒶 (@ta213ma) June 19, 2021
絵たちに、パネルをつけた。額装をどうしようかといろいろ実験した結果、ペンキを塗った木の板の上に絵を貼ることにした。周りに囲いをつけるよりも、絵の大地、野原をつくる方がしっくりきた。
これから、ペンキ塗りをするぞ。
〈絵〉から〈作品〉になった感覚がある。
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とっても楽しみにしていた three conductors の配信。明日観る。嬉しいなぁ。
【配信のお知らせ】今夜😁
— ☺️KEITARO HARADA🎻原田慶太楼🎾 (@KHconductor) June 24, 2021
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See you tonight!#山田和樹 @yamakazu_takt #鈴木優人 @eugenesuzuki #原田慶太楼 @KHconductor https://t.co/8Rpk66cQQp
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