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根に持つタイプなので、いまだに怒りは新鮮である



家族のために働いて、疲れて帰ってきたら、
女房は子どもと一緒に熟睡している


というのは、グータラ女房を非難するあるあるネタである。


“寝かしつけ”
という行為が必要なものであり、その最中につられて寝てしまうのは
程よい温度と振動の電車で居眠りをするのと同じで不可抗力なのだ。


日本の大半の母親は子どもと寝ており、
授乳期間を過ぎても、何かしら夜中に起こされて、
自分のペースで睡眠は取れない慢性睡眠不足。
さらに言うと、出産と授乳で貧血気味でもある。
本人すらそれは自覚していない。
暇にあかせて寝ているんじゃないんだよね。


この度、朝日広告賞の入賞作品にしてやったりの感。


「子どもが先に電池切れ」
https://www.asahi-aaa.com/backnumber/2019/index.html


受賞した小野愛佳さんは、男性の先輩社員が子どもの寝かしつけで
苦労している話を聞いて、


「大人の代わりに子どもと何時間でも遊んで寝かしつれてくれる
救世主的なオモチャがあれば」

と考えたそう。
学生時代のアルバイト経験から
「子ども1人には周囲の4~5人の大人をクタクタにさせる力がある」
とも感じていた。


寝かしつけに悩んであるのが男性社員であることや、
子どもを持っていない(であろう)作者の懐の広い発想というのは、
旧世代の私からすると、眩しく感じる。


"コロナの自宅待機でストレスが…" と世間は苦行のようにいうが、
なにをか言わんや、乳児がいる家庭では、ほぼ毎日そんな生活である。
それどころか、むしろ


「1日家にいるのだから、何でもできて当然」
「毎日暇でしょ?」

と怠け者扱いされてきた。
賃金労働していない家事労働者だって、1日は同じ24時間。
睡眠や食事 (もちろん家事育児にも時間が必要だが、連中にとってはその時間と労力は0に等しいらしい) に費やす時間も必要で、
24時間からその時間を引くと何時間残るのか。

自分のケツだけ拭いてりゃいい連中が、自宅待機ごときで
泣き言抜かすんじゃないよ。
私に心ない言葉を投げかけてきたヤカラは、
自粛要請期間中、どんな有意義な時間をお過ごし遊ばしたのか。
今でも沸々と湧き上がってくる怒りは衰えを知らない、新鮮な感情である。


“家事・育児”という作業の苦労をいとわれたり尊重されるのは、
それらを充分にしていない女性を責め立てるための引き合いの際だけ
であると思っていたが、なかなか世の中捨てたものではないと思った大賞。

これからの世代に期待する。


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