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ダメだからダメじゃない【定点観察日記13】

こんばんわ、またお久しぶりのたまです
今本当になんのやる気も無く(当社比)て、いいぞ!と思っています。

前回の記事で書いたような「波の下の方」がまた来ています。
あれだけそのことばかり考えていた趣味のことを考える気が全くしなくなり、そろそろ2週間以上が経とうとしています。

「波の下の方」が来た時、前々回(去年末)は1か月以上うつ状態になり前半は体調まで崩して、不安と不調の中で苦しみました。
そして前回(今年5月)は、そんな中でも戻ってこれた経験が心の支えになって、日常生活は最低限こなしながら趣味から離れているうちに、また自分の中のエナジーが回復しました。
前回は前々回よりはずっとマシだったとはいえ、趣味の方で大きなイベントを控えていたため、このまま気力が戻ってこなかったら困るぞ…という焦りもあり、やはり辛い気持ちはありました。

ですが今回は、その二回の経験を経て、大きなイベントを乗り越えて次のイベントの予定も特にない状態になったことで今までで一番ゆったりした気持ちで「波の下の方」を受け入れられてると思います。

今までの寛解記録で何度か言ってることですが、双極性障害の一番の恐ろしさは今の自分の調子の良さや、明日の自分の調子を信じることが出来ない、その不信感を常に考慮して行動しなければならないことだと思っています。
不安に思うこと自体が自分を疲れさせる。
これは逆に言えば、また良くなると信じることが出来れば一度鬱っぽくなっても、然るべき休息を取って元気な状態に戻ってこれる、ということでもあると思います。

回復を経験した時点で大きな安心になりますが、鬱の波に飲まれている時には客観的な判断がしにくくなるので、記事という自分の外にまとめておくと「あの時と同じ、この憂鬱も今にどこかへ行くんだ」とより強く信じることが出来ました。

前回の記事に書いたことですが、これが更にしっかりと自分を信じられるようになった感じです。
仕事の方はむしろやる気を持って、必要な勉強もしつつこなせていますし、職場の人とも楽しくやれています。

そしてやはり、私の双極性障害は「障害」ではなくなり、日常に普通にある「気分の波」──自分の自然な気質の一部になったんだな、と思います。

それでも落ち込むことはある

自分の過去と比較しても、今はずっとずっとマシで楽な気分です。
よく精神病の人に「明けない夜はない」みたいな言葉が励ましとして紹介されますが、あれがようやく心から分かってきた感じです。
確かに「明けない夜はない」と信じている健康な人からしたら、心の支えになる言葉だなと認めることができます。

ですがこれまでは「そう信じたい」と思いつつ、実際はそれが本当か分からなくて、ずっと暗闇のままの人生でもおかしくないと思っていました。

…ですが、それでも訳もなく気分が塞いだり、周りのようになれなくて落ち込んだり、人間関係で嫌な気分になったりでどうしようもなくネガティブになる時は来ます(多分これは程度あれ健康な人でもそうなんでしょうが)

そんな「必要以上に不安になっているな」と感じる時、最近私が試して効果があったのは、心の中で
「大丈夫、もう大丈夫だよ」
と自分に呼び掛けることです。

それだけ?という感じですが、それだけです。
それだけのことで何故少し楽になれるのか。
多分、実際今の私を落ち込ませているものの正体自体が「それだけ」なんだと思います。

生まれてから30年近い年月、私の人生は、自己評価はあまりにも「大丈夫」じゃなさすぎた。
周りの人が当たり前に出来ていることが出来ないし、皆が面白いと言ってるものにハマれない。宇宙人が一人で地球にいる気分。

だから今も少しでも不安になるようなことが起きると「やっぱり大丈夫じゃないんだ、全部ダメになるんだ」という反射に近い思考回路が働いて、
それで不安な気持ちが加速する一方で、「やっぱりね」と落ち着くことが出来る。
(なんかそういう不幸な状態を自分で選んでしまう心理を表す専門用語ありましたよね?探せなかったけど…)

そんな染みついた思考回路をすぐに修正することは出来ないです。
今の自分の中には今まで生きてきた時代の全部の自分がいて、訳も分からず辛かったときの自分が、今でも自己否定をしている感じがします。

だけど今は客観的に全然ダメじゃないんだから、大丈夫なんだ
と、今の自分の立場からハッキリ言ってあげることで、その思考回路が少しずつ修正されていく。

「大丈夫、もう大丈夫だよ」と胸の中で言ったとき、ほんのり胸の不安が薄らぐのを感じると、そんな方向に進めてるのかなと思いますね。

そして少し前向きな気持ちになって、
必要でないことからは執着を薄めていったん離れたり、
人間関係で嫉妬やもう自分なんて誰も興味ないんだ、のような悲観的な気持ちになっても、じゃあ自分から誘ってみようとか、話して解決しようという気持ちになれる。

最近は会社の人に、断続的なブザー音と一緒に10分瞑想をする方法(↓の動画)をおススメされて、
仕事から帰ったらいの一番にそれをするようにしたら、
仕事終わりも何かして一日を充実させなければいけないという焦りのような気持がだいぶ減って、逆に良い時間を過ごせているような気がします。

あと、最近なんのやる気も出ない自分を肯定するために、
名著紹介チャンネル的なもので、「頑張りすぎるな」的なメッセージがある名著の紹介を見ていてるのですが、

そこで紹介されていた岡本太郎の自叙伝的なものにビビッと来て読んで、結果的に超おすすめ!という感じではなかったですが、そこにあった

 「何をしたらいいか、全然わからない」  「これでは駄目だということはよくわかっているんだけど」  
自信もない、こいつだけは貫きたいという情熱もない。生活的にはまあまあ、程々のものは持っているし……。
 だらしがない、と言ってしまえばそれまでだ。だが正直に内面をさらけ出せば、若者たちに限らず、今こういうウツロな人間がほとんどではないだろうか。これは問題だ。
 そこでぼくはそういう駄目人間、不安で、迷って、自信がない、何をしたらいいのか、てんでわからないあなたに提案する。  
自分はそういう人間だ。駄目なんだ、と平気で、ストレートに認めること。  そんな気の弱いことでどうする──とクヨクヨしても、気は強くならない。  
だから、むしろ自分は気が弱いんだと思って、強くなろうとジタバタしない方がいい。

岡本 太郎. 自分の中に毒を持て<新装版> (p.30). 株式会社 青春出版社. Kindle 版.

という説を見て、これは「ダメで良い」というメッセージですが、私が上で話した「大丈夫だ」と同じなんじゃないかな、と思いました。

外的に「ダメ」な状態と、内的に「大丈夫」な状態は全然両立する。
そもそも実際外的に「ダメじゃない」人間なんて滅多にいないのだから、それを認めたうえで内的には「大丈夫」だと思っていい。
むしろ、その状態が一番自然なんじゃないかな~と。

手始めに、この夏の暑さに負けるのは当たり前だから、だらだら生きよーと思ってる今日この頃です🌞

ここまでお読みいただきありがとうございました!😊

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