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お店はなんのためにある?ー 街のため 居場所のため ー?

武蔵野美術大学大学院 クリエイティブリーダーシップコース クリエイティブリーダシップ特論Ⅱ 第8回目 2020/07/05

上野アメ横で、呑める魚屋「魚草」の代表 大橋磨州さんにお話を伺う。
人は誰だって簡単に居場所を失ってしまえる時代、とても考えさせられるお話であった。

世間的イメージに沿った上野アメ横の紹介

「日本一の商店街」と紹介されることもある、闇市古くから続く大規模な商店街「アメヤ横丁」。あそこに行けばなんでも見つかり、安く手に入れられるというイメージが根付く、商品知識豊富な商売人のメッカとも称される一角は、小規模店舗が立ち並ぶ今尚活気のある街である。立ち飲み居酒屋も軒を連ね、初対面の客同士が盃を交わす人情味のある街である。
アクセス面から上野は東京の玄関口としても賑わい、多国籍な店舗も立ち並ぶ、アジアのマーケットを思わせる独特の雰囲気があり、最近では若い世代のデートスポットにもなっている。
恒例の歳末大売り出しでは、大勢の人で溢れ、海産物などが飛ぶように売れる、お祭りのような光景が広がる。

当時東大大学院の研究員だった大橋さんはそんな上野アメ横の独特の雰囲気に魅了され、この街の一員になろうと上野へ居を移し、アメ横の魚屋で6年間勤められる。

独特な商売の実情やそこに集う人々について

大橋さんは、フィールドリサーチで見た秋田の西馬音内(にしもない)盆踊りの演者と、アメ横で魚を売る自身が重なって見えたと話される。

西馬音内盆踊りは、顔を隠した無名の演者たちが10万もの観客を呼び寄せる熱気の中心にいる。普段の彼らはいわゆる地域のおばさん、おじさん達だ。

一方、魚屋で仕事を始めたその日から店の最前線で、大勢が押し寄せる喧騒の中、魚を叩き売る自身は、魚の知識もない新参の自分が店の前に立ったらベテランの魚屋を演じることで、祭の中心に参加しているような感覚になるのだと。

そうしたご経験から、さらにアメ横をまわしている仕組みについてのお話。
威勢のいい姿勢と知識豊富に見せることで商売をする、いわばハッタリの世界だったという。実は魚屋のほとんど誰も魚が捌けないし、一匹一匹を吟味して売ることはなく一盛りいくらだという売り方をするので、魚の知識は必要なかった。むしろ下手な知識が邪魔になるような世界だった。全国から魚が集まる築地市場から売れ残った魚を安く仕入れて叩き売る、そうしたモデル長らく続いているのだという。

「そんなアメ横で、一緒に働いていた人たちの入れ替わりは早く、どうやら今居場所のない人がいっ時やってくる場所という面があるらしい。
受け入れ見送る側もそうした土壌には慣れていて、何年も先のお付き合いを考えたり、ベタベタした人間関係はない。
ただ、今時間を共有する仲間であるだけという繋がり。
ホームレスに近い人たち、アル中の人たちが働いていたり、昨日アメ横の魚屋でクビになった怠惰な人が翌日から、斜向かいの魚屋で働いていたり。他にいくとこもないが、アメ横ならまた居場所がある。

あえていうなら”人間のクズ”と社会に扱われる人々の居場所となる街なのかもしれない。」

それはもう何年も掛けてできてきた、人に居場所を与える独自の社会インフラのような街なのだとおっしゃる。

大橋さんが実践されるお店の意義の探求

このような体験をされながら6年ほどアメ横の魚屋に雇用され店に立たれていたが、あるテレビ番組を見て、仕事の意義を持つため、独自の問題意識から独立し同じアメ横で魚屋を開店される。

日本の水産業は魚価が上がらないのが産業全体の課題であり、漁師の仕事も逼迫している。そのテレビ番組では今まで値がつかなかった無名の魚に価値を見出し、あえて高値で買い業界全体を快方に誘うような努力をされている企業のお話だったそう。その対照的にアメ横の様子が映され、これまでやっていた売れ残りを叩き売るようなモデルには未来がなく業界全体を縮小させると実感し、仕事の意義を模索され始める。

「生産者のためになるような形でも商売をやりたいと思い、
当時震災後の不況もあった、三陸の漁師さん達から仕入れた
三陸の魚を売って、漁師さんからも喜んでもらいたい、
そこで東北から見た東京の玄関口 上野で店をやりたいと思った。」

最初は売れなかったが、牡蠣をむいてその場で食べてもらうようになる。
魚を見ながら食べられる店にしたり、お客さんの反応を見ながら形を変えていき、三陸のうまい魚とお酒が立ち飲みできる魚屋。また、アーティストとコラボしたり、音楽とお酒を楽しむメニューを作るなど、趣向を変えた試みをされている。

この街の人情と人間らしさを勘違いしてしまうアルバイトには忠告を。

アルバイトの人がマニュアルのない接客で働きがいがあって楽しいといい、お客さんと友達になって、プライベートを話す。しかしそれは消耗するから気をつけろと話しているそう。

「人間性の商品化がもっともまずい、あなたの人間性を切り売りする必要がない。人間らしさをどう守るか、人間らしさを商品にするな
AIがなんだと言われる中、接客業こそ人間らしいと言われるが、そのトリックには騙されるな」

アメ横という街は、魚屋のふりすることで居場所を与えられる。
無名性を保ったまま、ステージに上がる
肯定される。

居場所のない人を受け止める懐の深さ話あるが、ベタベタな付き合いはしない。まさに来るもの拒まず去る者追わずな、ある意味ドライで軽やかな空気があるというのも独特な土壌なのかもしれない。

お店はなんのためにある?

コロナが蔓延した今の状況になり、店舗を構えてお店をやる意味についてより向き合って考えるになったそう。
ネット販売で、お店だ食べられる食材を売買できる、家でも味わえる時代

「お店は、街のため。街との関係性でしか意味をもてないだろう。
街に魅力を感じて、この街で働きたいというのが初めの衝動だった。魚や酒を売っているが実際には居場所を作るためにやっている。
居場所はインフラみたいなもの。
その土壌はどうやってできているのだろうか
人に居場所をもたらすものはなんなのか。
闇市からの歴史、時間を積み上げてできているインフラであり、
一朝一夕のビジネスプラン、制度、法律で簡単にできるものではない
失われてしまったらもう一度作ることが難しい。」

守らないといけないとか、文化を残すこととは違い、
文脈を引き継ぎながら、どういう形でリデザインしていくか
それが今の社会にはかけているのではないか、
ノスタルジックに昔のままをいいとするのではなく、人が織りなす価値とは何かを、今も模索されている。

感想

誰もが「人間のクズ」という側面を持っていると思う。

状況や時代が変われば、誰だって簡単に居場所を失える社会に生きているんだと感じている。
無名性を保ったまま自分が肯定される場所というと、ネットの中のサービスと親和性が高いようにも感じる。しかし、どんなにネットで人と繋がれても、逆に居場所を見出せず孤独を感じることもある。SNSでいろんな人に食ってかかり炎上を起こす人たちも、もしかしたら居場所を見出せない辛さから私はここにいると必死で訴えかけるように、人に絡んでいるのかもしれない。

働くこと、リアルに人と接すること、何者かになれる体験ができること、それらが誰にも許されるというような、私たちそれぞれにとってのアメ横、とりあえずあそこにいけばいったんなんとかなる居場所が社会にいろんな形で必要になってくるのかもしれない。

また自分の仕事の意義、社会全体を通しての位置づけ諸々自分たちを取り巻く一つ一つについて考えるきっかけをたくさん含んだ感慨深い講義であった。



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