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悲しみは一人で抱えきれない

また、母方の祖母が亡くなったときの話になる。

(前回の記事はこちら)

先日、たまたまインスタで「留学中に祖母を亡くし、ホストファミリーが支えてくれた」という他の方の投稿を見て、自分のいろいろなことが思い出されてまた涙が止まらなくなった。

私はまだ幸運で、祖母が亡くなる2日前まで一時帰国していたし、覚悟も決まっていた。それでも、心に穴が開いたようにわんわん泣いた。夜中にも関わらず、私の大家さんは私の部屋まで上がってきてくれた。"Bà ngoại cháu mất rồi (私の母方のおばあちゃん、亡くなってしまった)"それだけ言って、あとは立つ力も残らずに、大家さんに抱きしめられながらものすごい量の涙を流した。

もう5年以上前のことだ。それなのに、似た境遇の人の話を聞くだけで、当時の感情がぶり返す。
ただ、当時を思い出したことで、私はその後身を犠牲にして学ぶことになる人生の教訓を、また思い出すことができた。

何かの悲しみや辛さが大きすぎるとき、一人で抱えようとしてはいけない。
大きすぎるというのは、客観的にではなく、べつに仕事のことでも、恋愛でも、家族のことでも、自分自身のことでも、友人でも、まぁとにかく、何でもいい。中身は問わないし、客観的な大きさも問わない。
あなたが泣いたり、呆然としたり、怒ったり、逆に無感情になったり、なんでも、あなたが感じる大きさが大きいものであれば、決して決して一人で抱えるべきじゃない。


ここから、少し私の過去語りになる。祖母が亡くなってから、ベトナムで過ごす私の話だ。

私は祖母が亡くなってから、部屋に籠もるようになぅた。学校を無断欠席し、その次の日にはなんとか学校まで行き職員室に直行して、先生に「悲しくてしばらく学校に行けない」とだけ伝えて、帰った。

私は馬鹿だから、別に普段ビーガンでもなんでもないのに、迷信かのように「殺生をしたくない」と言い出した。今まで普通にお肉もお魚も食べていたのに、一切口にしない。私の部屋はキッチンがなかったし、外で売っているものはほとんど動物性のものが使われていて、私はトマトジュースを何箱か買って部屋にこもった。毎日、トマトジュースしか飲まなかった。
ある日、スーパーにたまたま植物性のクラッカーが売っていて、それを買って部屋に置いておいた。昼間は食べる気が起きなかったが、夜になると、おそらく私の身体は数日間のトマトジュース地獄にやられ、相当飢餓状態だったのだろう、開けて一箱全部夜中に食べた。それから、またたくさん泣いた。寝れなかった。

友達はいつものように私を遊びに誘ってきたが、私は理由も言わずに「今は行かない」と言ってすべて断った。これが今思えばバカだったと思う。心を許せる相手なら、つらいときに会うべきだ。楽しいことをするよりまず最初に、つらいことをちゃんと打ち明けて、少しでも感情を外に出せばよかった。「ちょっと聞いて」と言えればよかった。

2週間後に日本から友達がやってくることになっていたから、その時までには元気になろうと思い、その日はめちゃくちゃ明るく一日を過ごした。祖母のことは一言も友達に言わなかった。今思えばこれも良くない。無理に明るくしようとテンションを上げすぎたのである。
久しぶりに普通の食事を食べたらおなかを壊した。夕飯は友達と店に入ったが私は腹痛で何も食べられなかった。その夜、すごい激痛の腹痛と下痢と吐き気で私は寝ていられなかった。友達が、夜通し看病しながら、明日病院に行きなさいと言ってくれた。
盲腸だった。即入院、手術で、退院してからも痛いのでバイクに乗れず、私は意思とは関係なくプラス数週間学校にも遊びにも行けなかった。盲腸はストレスでなるらしい。さらに、食生活の乱れも影響するらしい。私の抱えていたストレスは大きすぎたし、食べていない生活といきなり食べることを繰り返していたことはそのストレスを助長させたと思う。


1ヶ月後、全然治って、気分も元気になってからの話。私は久しぶりに親友の家に来ていた。アパートメントの屋上に洗濯機と物干しがあって、私たちは洗濯が終わったものをハンガーにかけながらおしゃべりしていた。風が心地よく吹いている夏の日だった。
その会話の端から、私はふと、祖母のことを思い出した。何がきっかけだったのかわからないけれど、涙がつうっと頬を伝った。私の親友はびっくりして、どうしたの、と私に問いかけた。私は、全部話した。今まで、こちらで誰にも詳しく話さなかった祖母のこと。どれだけ彼女が好きで、私にとって大きい存在だったか。最後に会った時の気持ち。喪ったときの酷い孤独感。それから、何が自分の身に起きたのか。涙が止まらなくなって、でも話も止まらなくて、私の話が終わるまで親友は私の背中をさすっていた。

親友は、それまで私が何もしゃべらないから、何が起きていたのかその瞬間まで全く知らなかったのである。ただ、私が1ヶ月音信不通だった、ということを除いて。

彼女は、私に怒った。なぜもっと早く話さなかったのか。なぜ、辛いことがあったときに真っ先にここに来なかったのか。しばらく来ないから、心配していたけれど、そんなことがあるなら一人で抱えちゃいけない。tamはなんてバカなんだ、そんなときに一人で抱え込んでいなかったら、病気にもならずに済んだかもしれないのに。話してくれればよかったのに。今話すなんて、それまでずっと抱えていたなんて、今でもこんなに泣くなんて、全然消化できてないじゃない。今まで何をしていたの。

彼女は私を強く抱きしめながら、私のことをバカだと言い続けた。優しい𠮟責だった。私は彼女の胸の中でさらに泣いた。あまりに涙が止まらないので、私は屋上にぺたんと座り込み、彼女が乾いたタオルを物干しから外して私に渡してくれた。


私は、辛いことやネガティブは基本人の負担になるから話さないほうがいいだろうと思ってずーっと暮らしてきた。この時も例外じゃなかった。でも、楽しいことだけ話し合う関係性ってなんて希薄だろう。彼女が怒った理由の一つには、「そんなに私のことを信頼できないのか」という理由もあった。もし友達の前であなたが辛い話を打ち明けたり泣いてしまった時に、煙たがったりとか、「え、重いんですけどw」なんて言うやつは、友達じゃない。

別に友達じゃなくてもいい。家族でも、先生でも、医者でも、カウンセラーでもいい。私は誰に相談したらいいかわからないときは最近はオンラインカウンセリングを予約して全部バーッと吐き出している。あとはひたすら落ち着けるカフェやスナックで愚痴ることもある。

ため込むな。一人で抱えるな。とにかく、人に話そう。話すは離すなのだ。それで少しずつ、自分の中の悲しみや嫌な気持ちを見つめられるようになろう。抱え込んだら、心身を壊してしまう。
一人で解決できないこともたくさんたくさんあるから。それはあなたが弱いわけではないから。誰かを頼っていいから。迷惑だとか、いったん考えなくていいから。

できたら、あなたの心が折れる前に、もしくは折れてからもできるだけ早く、このメッセージが届きますように。もちろん、今からだって遅くない。

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