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回想|自分とスポーツとの関わり①

タルタルです。

自分は学生時代、スポーツに関わる業界で働くことをイメージしていたのですが、その頃はスポーツ業界の闇や自身の視野の狭さを感じ、金融という全く違う世界で働くことを決めました。

娘も生まれ、31歳になり、将来を思い自分を見つめ直すにあたって、やっぱりスポーツに関わると面白そうだよなと思っている、今日この頃です。

そんなわけで、まずは過去の自分の思いを振り返り、改めて今の想いを整理してみたいと思います。


幼少期

2つ上の兄の影響でサッカーを始めました。

兄の友達に混じってサッカーしていたので、同学年の中では上手い方で、活躍できることが嬉しいし、活躍できる自分が好きで、サッカーにのめり込んでいきました。
(その他、水泳、体操、テニス、卓球も、一時期習い事として通っていましたが、せいぜい1~2年で辞めました。)

ただ、上手い子たちが集まる選抜チームとかになると、自分はそんなに上手い方ではなくなるので、カテゴリーが上がるごとにサッカーの楽しさが薄れていったように思います。

中学時代

文武両道を目指し、中学受験の上、進学率も高くサッカー部も強い私立中学に通うようになりました。

当初はかなり上手い方で、1年生の頃から試合にも出させてもらうことが多かったのですが、身長の高さや足の速さ等、身体能力差が大きく、徐々に試合には出れなくなりました。
気づけば同学年の子や、後輩にも抜かされ、ベンチを温める日々が続きました。
それでも、自分の割と真面目な性格が評価されてか、部のキャプテンを任されました。嬉しい反面、キャプテンなのに試合に出れないことの惨めさや後ろめたさを、この頃はよく感じていました。
今思うと、このころは、サッカーをあまり楽しめていなかったかもしれません。

中高一貫校だったので、高校受験はせず、中学3年の途中から高校サッカー部に練習参加させてもらいました。
(高校の練習は厳しいことで有名で、中学サッカー部のほとんどはこのタイミングで辞めてしまいました。)
そのころ、当時の高校3年生最後の大会、いわゆる選手権というやつの県予選準々決勝があり、全国大会常連の優勝候補との試合で、PK戦13人目までかかった試合で奇跡的に勝利した試合に応援に行ったのですが、観客席から眺めていて、「自分もこんな舞台で活躍したい!」と強く思いました。

高校時代

そんな思いとは裏腹に、高校に上がってからは、まったく試合に絡めない(ベンチにすら入れない)日々が続きます。
高校からサッカー推薦で入学してくる子もいて、さらにレベルが高まる中、厳しい練習をこなす日々でした。

ただ、中学時代とは違い、目指すべき姿が明確でした。
「3年生になった時の選手権で、あの時の先輩たちのように、ピッチに立って活躍する」
そのために、毎朝フィジカルトレーニングに取り組みました。
朝練は基本各自で自由にやってよい、という部の方針だったので、その時間を活用し、自分の弱みの克服をしようと考えたのです。

朝練でフィジカルトレーニングをやると、午後の全体練習では体が重く、目先の試合へのアピールには逆効果な面もあったのですが、見据えるは2年後の選手権だったため、1・2年生時のメンバー入りは半分捨てていました。

2年生時の冬、3年生が引退し、自分たちが最高学年になって少しした頃、事件がありました。

後輩が、新人のコーチに対して失礼な態度をとっており、それに対して当時次期キャプテン候補の同期が指導をしたのですが、その時に手を出してしまいました。
それに対して、手を出された後輩の親が激怒。同期の退学や顧問の解任を要求してきて、かなりの大事になってしまったのですが、その他の親や先生方の協力もあり、ことなきを得ました。

ただ、事態を穏便に済ますためには、さすがにその子にキャプテンをやらすわけにもいかず、次期キャプテンとして自分に白羽の矢が立ちました。
複雑な心境もありましたが、素直に嬉しさも感じ、引き受けることにしました。
その日の夜、立場的にもこれまで以上にサッカーに注力したいとの思いから、両親へ「引退まで ”サッカー>受験勉強” でやらせてほしい」と頭を下げ、浪人覚悟でサッカーに取り組ませてもらいました。

その結果、それまでの努力の積み重ねに加え、キャプテンとしての責任感が自分をさらに成長させてくれたおかげで、3年生の夏ごろからようやくレギュラーに定着できました。

目標としていた選手権でも、ピッチで(ある程度)活躍することができたと思っています。
最後は県予選の準決勝で、あの先輩らが奇跡的に勝利した全国常連校との対戦でしたが、1-2で惜敗しました。
当時はめちゃくちゃ悔しくて、その後1週間くらい抜け殻の生活だった記憶ですが、今となってはとてもいい思い出で、自分にしてはよく頑張った3年間だったなと思っています。

その後、大学でもサッカーを続け、将来はプロになりたいとの思いから、体育系の学部で競技に活きる勉強をしながら大学サッカー部で頑張ろうと思い、受験勉強に励むも、やはりサッカー優先生活のツケがまわり受験に失敗。浪人することを決めました。

ここまでの振り返り

総じて、スポーツを「する」立場で、自分の好きなようにやらせてもらったなと、改めて感じました。
親や先生、友人たちに本当に感謝です。

それのおかげで、特に高校時代は、今の自分の根幹を形成する経験が多くできたと思います。

プレイヤーとしては、回りのレベルが上がるにつれ(相対的に自分のレベルが下がるにつれ)、楽しいと思うことは少なくなりましたが、その中で踏ん張ることができれば、やがて楽しい時間が来ることを体感できました。
あまり大した話ではないかもしれませんが、自分なりの成功体験だと思っています。

また、高校時代の同期は一生の仲間です。
思いもよらない逆境で、一時部活動の停止措置といった苦境もありましたし、鬼監督の厳しい練習や理不尽な指導もありましたが、みんなで乗り越え、且つチームとして少しずつ結果も出せたことで、組織の強固な一体感を醸成できたと感じています。
チームで何かを成し遂げることのやりがいや楽しさを知ることができたし、その為に互いに尊重し合うこと、仲良しこよしではなく意見はぶつけること、それぞれが役割を認識して全うすることなど、大切なことも学ぶことができたと感じています。


長くなりましたので、一旦ここで区切り、大学時代から現在までの振り返りは次回にしたいと思います。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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