客体的に人間を見る話

Twitterで見かけた、こちらの意見に関する話を、編集したり追記したりしたまとめなのですけど

これ、コンテストやお教室の先生が男の芸術家で、その人は女を描いてある方をより高く評価するからっていうのあるんですね。

元のツイートでも引用のところをみるとあがってきてるんですけど、「男は美しくない」っていう共通の概念が男の人にどうもあるらしいんだよな。そのうえで、女の人が男性ヌードを描いたりとかすると、すでに相当の名声がない場合、「この人は男の人と(あるいは俺と)性的なことをしたいと考えてるのかな?」が乗ってくる場合があり、リスクが跳ね上がるというか。

美術を学べる人は現代では女性の方が多いんだけども、「大先生」「審査員」「編集長」などの決定権のある人はだいたい男性なので、まず「絵を見てもらう」という壇上に上がるために女性を描く必要がある。よくない構造だとはおもうが、まず、壇上に上がるために女を描く必要があるんだよな……。

「男は男の物語が読みたいが、男の外見が嫌い」っていうのけっこう一貫してあるとおもうんですよ。昨今の、男の人が女性の外見で男の人の物語を描くやつに顕著ですけど。
そこに「女は女の物語が読みたいし、自分の外見も含めて女であると思う」が乗ってくると世界の半分ともう半分が女を見つめているので、結果、全員女の絵を描くことになる。

俺、シーレがいい人かはおいといて、真面目だと思うよ。あれだけセクシャルな女の人をずっと描いてるけど、自画像のかなりで全部自分の性器が露出してるし。自己の見つめ方がすごい。好き嫌いもおいといて。

ただ、人物を描くときに題材をセクシャルなものにするのがセンセーショナルで政治的な意図があったりなんらかの主張があったりする、っていうのは多分に西洋美術の文脈だし、西洋的な「性的なものに対するタブー」を宗教抜きに自己内包しちゃったのは日本の芸術界のよくないとこだとおもってるよ。

これは女性を描くなって話とはまた別なんですけど。女性が「造形美」たり得て、男が「造形美」たり得ないというのはけっこう社会的な先入観だとおもっている。
特に西洋古典絵画の時代に関しては、女の人が男の人の裸を見たり描いたりするのって相当タブーだったし、男の人が男の人を描くのも、ホモセクシュアルが犯罪や病気であった時代にはそうとう難しかったですからね。
そういう歴史的な文脈なしに、ただ「美しさ」としてのみ語るのって思考停止に思える。

やっぱり「社会的に許されてない主張の代弁者としての異性」ってある気がするな。男性は感情を語る時、感情を語る人の外見を女性に託すみたいなね、そういうのありますよ。
私だって、私が言っても説得力がないが、イーストウッドが言ったら説得力がある気がするとか、あるもんな……。

これはマジで刺さるとおもうんですけど(刺さるというのはけっこう多くの人がグっとくるイメージということ)、じゃあ、たとえばその構図の着衣と裸が逆だった場合に、ポルノではなく絵画として受け入れられるかどうか、っていうのがここの議題に思えますね。

それは思います。これ、では「なぜ女性ならファンタジーたりうるのか」って、そういう文脈を連綿とつくってきたからなんですけど、多分、たまに槍玉に挙げられる女性誌の表紙の男性ヌードも含めて、男女ともに実は「性的に消費する目的で見られる」って怖いんですよ。たぶん。

アンチテーゼではなく、「非現実的なもの」を観すこともある。それはそれとして、男性ヌードと女性ヌードは文脈が相当ちがい、男性ヌードが描かれるとき、そこに「誘惑」の視点はないことが多いです。でも、女性にはある。

よくある「女性が蠱惑的な微笑を浮かべて、くつろいでこちらを見ているシーン」、絵画史の上ではよくあるすがたですけど、男性ではほとんど描かれない。ただ、一箇所だけ男性がこういうふうに描かれるものがあって、それは「広告」なんですね。スーツや髭剃りやゴルフウェアの「広告」

現代ならシャンプーなんかでもいい。これはなぜかというと……「女性に向けた視線」だからです!つまり、男性が見た時に「女性に視線を向けるかっこいい俺」になり、女性(多くは家計を担っており日用品の買い物をしている)が見た時「素敵な男性」になる、広告のシーンではこの男性の誘惑がある!

でも、「広告の絵」は基本的に(名作が100年も50年も経って権威化した場合を除き)純粋美術とは取られにくいです。 ここに権威の壁もある。
権威化されているものでないと、一般に受け取られるのは難しいですね。

最近、日本画の分野で男性ヌードを性的に描いて注目されている方がいらっしゃるんですけど、これは日本画っていう「権威」の場、そしてこの「権威」は男性作家が作り出した「権威」の場で、男性ヌードを描いていらっしゃるから注目されている。これは勇気のあることで、偉大な仕事です。

でもそれ以前から、さっき話した広告分野だったり、コミックの分野、少女漫画や、BLもそうですね。
「女であり女の物語が読みたいが女の外見が嫌い」なときどうなるかっていうと、BLにいくことが多いんですけど(BLの全てがこれではない)、まあ純粋美術の世界では無碍に扱われてきましたし、コミックや広告は権威のない分野なので、ここの部分でずっと男性を客体的に描いてきた人々のことはなかったことになっているというか、完全に無視されてきた、というのが現状に近いと思っています。
最近やっと認められてきたけど、でもやはり、これを「美術的な視点」とは思われない。

商業美術と純粋美術を分野として分けることも、最近はけっこう疑問に思っています。

これは絵を描く側の女性である私個人の意見なんですけど、私は銭湯で裸で新聞読んでるバーコードのおじさんとかも充分に絵画的な主題ななりうると思うんですが、なんかならないことになってるなあと。
それ自体が問題の根本的な部分なんじゃないかなと思っているんですよね。


この話題が出たので、自分で言ったものをザックリ描いてみたのだけど、
こういう主題がありうるか、あり得ないかでいえばありうるきがする。

これはおひねり⊂( ・-・。⊂⌒っ