テートモダンを訪れた帰り、チャイナタウンに寄った。つい上海に行ってきたばかりなので、懐かしくなる。
日本では「異国」の扱いである中華の存在。
ロンドンにおいては「東アジアのごった煮」と言ってもいいだろう。
チャイナタウンといいつつ、中華食品店には伊藤園のお茶やコンビニでお馴染みの特濃ミルク飴が月餅と一緒に並ぶ。
逆に日本にいれば「ヨーロッパ」で一括りにされがちな国々も、ここでは解像度が上がる。書店にはポルトガル語、スペイン語、フランス語の本が並び、さらに年齢対象までにも分かれて陳列されている。
書店で面白かったのは、脚本の棚があったこと。
日本で見かけた記憶はあまりない。
ミュージカルを早めに見に行かないと。
英語というのが日本にいるとどうしてもお勉強科目に見えたのが、ここでは単なる言葉として向き合えて気楽である。わざわざ意識高くなんかしようとすることなく、英語しかないのが心地いい。
それにしても言語は文化を分けるなと、しみじみ思う。バベルの塔の話が伝えるように急に分かれたんだろうか。言語が出来上がる過程を見たことがないから、不思議である。
レンタル何もしない人、が英訳されていたのは驚きだった。妙な本が選ばれているもんだなあ。
国で分けられた社会。
本当にいつから国というのが出来たのだろうか。
その本質は何だったんだろうか。
パラレルワールドでは、どんな形態なのか。
最初に何かが起こった時の意図が薄れ、広がった先では伝言ゲームで言い出しっぺが考えもしないことになってたりするよね。
寿命以上のことは正確に伝わらないってことなんだろうか。だから、何回も生まれ直して脈々続いてきたのが、この世界ってことなんだろうか。
果たしてこれは何回目の生誕でしょう。
ここでの使命は、宿題はなんだったんだろう。
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