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「食」から人間関係をつくる方法を試してみた

縁あって外国人と知り合って日本を離れて暮らしている。移住した先は北欧の片隅の田舎町。きっと将来はこの地に骨を埋めるだろう覚悟でやって来た。

まず初めに考えたことは、
「どうすれば社会に溶け込めるのだろうか」ということ。見た目も言葉も文化も違う国からやって来て、ただの髪の黒いアジア人女性としてだけでは周りからも奇異に見られるだろうし、孤立するのは簡単だ。
理想はすっとその中に溶け込んで変に目立ちたくない、当たり前のようにそこにいる、そんな感じだ。

とにかく誰とでも仲良くとまではいわないが、少なくとも他所の国から来た変わった人にはなりたくなかった。
「日本のこと知ってます。」という人に会っても未だに侍、ハラキリ、芸者を言われることにびっくりした。

自分を知ってもらうためにどんな方法があるだろうか。考えた結果手っ取り早く日本の文化といえば大袈裟だが、日本について知ってもらうのが良い、に辿り着いた。

小さい頃遊んでいた折り紙を記憶を辿りながら折り、相手の名前を無理矢理漢字を使って当て字で書いてみたり、漫画やアニメの話をしてみたり。パーティーといえばその度に遠くのアジア食材の店に行って決して安くはない材料を買い込み寿司や天ぷら、豆腐の味噌汁など料理してそれらしく振る舞ったりした。

例えば寿司はSUSHI として知られて流行りのテイクアウトでもあるので、家庭で出せば見栄えも良いし
「まあ素敵! 素晴らしい!!」
とお愛想では言って貰える。しかし見慣れない料理は不審そうに突かれたり、匂いをかがれたり。初めてだから仕方ないとはいえあまり気持ちの良いものではない。なかなか買えない貴重な味噌を使った味噌汁をちょっと口をつけて残された時は大袈裟でなく殺意すらおぼえる。物騒だが食べ物の恨みは恐ろしいのだ。

日本文化を示しながらその場は寿司や折り紙を媒介にして話が弾む様に見えるが、せいぜい数時間でそれも話尽きて終わってしまう。そりゃ外国語大学で日本語専攻してます、とかこれから日本に転勤になりますなどそういう理由でもあれば発展して細かい色々な話題にも進めるだろう。しかしただそこに一人日本人がいるというだけではどうにもならないのだ。
本当にこれではどうにもならない、何か作戦変更しなければ。自分自身は日本を離れてどんどん日本の流行から離れていくし、そんな折り紙やお手玉やら普通の日本の生活の中でもしょっちゅう使うものでもないのにこれらを武器にしてても埒が明かない。これでは上手くやっていけそうにない。孤立してしまう。

色々と悩んで考えた結果は、私がここに入り込めば良い、ということだった。非常に簡単だ。つまりここの人達にただ珍しいものを手探りで無理に広めるのではなく、私がこの国の文化に精通すれば幾らでも相手と話すことは出来るはず。わからないことは夫に聞けばいいだけだ。

文化といえども範囲は広い。何処にターゲットを定めるべきかと、考えた末、人間は食べなければ生きていけない=「食」に決めた。これなら老若男女、誰とでも共通の話題になるし、さりげなく輪の中にも入っていける。食べること、つくることはずっと大好きだった。家では和食は両親、各国料理と菓子やパン類は私が作ると役割分担されてたのだ。それなのにろくに作ったことのない和食を手探りで広めてそれが本物だと思われてはいけない。土井先生にも申し訳ない。

幸い当時夫の母と同じアパートの棟に住んでいたので、色々な季節の行事や普段の食事、暮らし方など遊びに行って見よう見まねで学んだ。料理番組も言葉の学習も兼ねて随分見た。復活祭、夏至祭、クリスマスというハイシーズンは夫の母が存命中は家族皆が集合するためその時々の料理の作り方、並べ方、過ごし方など手伝いながら学んだ。

女性の社会進出が非常に進んでいるこの国では食事を作る文化が後退している。1950年代後半から1960年代にかけて冷凍食品の文化が盛んになった。1970年代になって女性も男性同様社会に出て行くと食の文化はますます簡単に出来て時間がかからないものへと移って行く。
スーパーに行けば国民食のミートボール、ハンバーグなどは温めて食べれば良いものが大量に売られているし、サラダも切ってプラスチックの袋入りがある。ジャガイモのグラタンも袋に入って売っている。袋から皿に移してオーブンで焼くだけだ。クリスマス料理も全部既製品がスーパーで手に入る。
ヨーロッパ人にとって大切なソースも出来上がったもの、粉を牛乳で溶かすものなどそれはそれは簡単に出来てしまうのだ。
パーティー料理もケータリングが盛んだ。どこのスーパーもだいたいケータリングを請け負っている。

スーパーで製品として売ってるメニューを自分で作れるようになりたい、最終的にそれが出来る様になった時、この国で当たり前の様に人の中に入り込めるのではと考えた。売ってるものを家でちゃっちゃっと気負わず作れるなんてカッコいいじゃないか。

料理にターゲットを絞れば、夫の母とも彼女の友人たちとも話しが弾むようになった。家庭料理ゆえに色々なやり方があって、それらを聞くのも楽しかったし質問したら丁寧に色々教えてもらえるし、昔の台所用品についても話しは広がる。古い料理本を貸してもらったり、野菜の種類についても尋ねたり勉強になる。見慣れぬ野菜をどう使えば良いのか知識を増やした。

気付くと料理や食事の話題で老若男女、結構色々な人と会話出来るようになった。主食と言われるジャガイモも、地域や種類によって味が違う。色々な地域の郷土料理やジャガイモの使い方など小さいことをきっかけに話が弾む。これがいつまでも自分の国のことを話題にこだわって話していても同じ様に入り込むことはできなかったと思う。

私の気に入っている郷土料理は、
Fläsklägg och rotmos. 
豚の脚を茹でて根菜をマッシュしたものを添える。年配の方に特に大人気だ。この料理の手間は豚の脚、だいたい1.5kgを月桂樹の葉、粒オールスパイスを入れたたっぷりのお湯で茹であげるところだ。約2時間ほど。 しかし私は圧力鍋で時短。約1時間で茹で上がる。圧力鍋も最新のものではなく1950年代の簡単な作りのものだ。この茹で上がった豚の脚とマッシュした根菜と一緒に食べる。

こうやって圧力鍋に入って頂く

家族や自分の誕生日には必ずプリンセストータをつくる。夫の母が非常に喜んで気に入って食べてくれたことを思い出す。

食を通して人間関係をつくる道はまだまだ長いが、食いしん坊を活かして色々な人と仲良くなっていきたい。この地にしっかり根付きたい。

そう願いながら、今日もまた台所に立つ。


#創作大賞2022







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