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【564/1096】母とのこと

いろんな問題は結局
母親との関係に集約される
とばっさり切られることがある
うーん そうなの?
当たっている面もあるとして
すべてではないだろう
そう思いたい

わたしの母は昔はいい母親だった
わたしと母との関係も
良かったと記憶している
仲もよかったし一緒に出かけたりした
悩みを話したかどうかは
わからないけど
普通の親子だったと思っている

自分が親になって
子どもたちを褒めることがある
存在だけでかわいい
そして自分は 
可愛がられた記憶がないことに気づく
「かわいいね」
「えらいね」
「すごいね」など
褒められたことがないな
唯一 「がんばったね」と
言われたのは20歳すぎ

夫の親はよく褒める
わたしのこともたくさん
だから 時代とか関係なさそう
いろんな家庭があるし
ほめないことを恨んではいない
ただ 無かったなー
その気づきと冷静なこころ

あまりに小さい時は
記憶がないとしても
小学生くらいからは覚えている
でもないなー
図工や作文で入賞したりしても
褒められた記憶がない
忘れてるだけ?

かわりに耳に残るのは
「あんたはどんくさい」
よく言われた
今だったらアウトでは?
わたしはそんなこと 
子どもに言えない

翻って
結局は母親との関係 という言葉は
ブーメランのように自分にささる
自分ときみとの関係
根本的な問題があったかもしれない
その懸念はいなめない
むしろそればかり考えてきた
どんなに完璧に育てたとて
なにかしらの問題はあります
と専門家より
完璧でない親であるほうが
子どもは安心する とも言った
うむ そういう一面もあるだろう
何にしても 家族間の影響は
良くも悪くもさけられず
うちでは
わたしが子どもに接する機会が
とても多かったから
そこの影響 繋がりは関係するだろうね
そして自分の育ちもまた
自分の子育て感にも
影響を与えている
それは避けられない
むしろ 自然なことだ

育てられたのは家庭だけでなく
学校や習い事 近所の人達
であってきた友人知人
いろんな方の影響を受けた 
読んできた本 観た映画などなど
いろんな所に学びはあった
だから自分がまるっと
親の影響すべてでできてない
そう考えている

けれど
母に会うと わたしはなんだか
うまく話せない自分に
母とのやり取りに傷つく自分に
問題を感じてしまう
そしてきみとのことに
派生してしまう

何か足りなかったのか
失ってしまったのか
家族の関係はその家庭それぞれ
今後の関係として
どうあれたらいいのか
どうありたいのか
生きていて 
わりと近くにいるのだから
うまくやれるといいなと思う

生きてる人にしてあげられることを
大切に
友人の言葉が思い出される

今日もありがとう
残された者の日々