見出し画像

完璧を目指すな、半端を楽しめ。


「ベストを尽くせ」

大きな横断幕が揺れている。

この襷(たすき)をつなぐ。1秒でも速く、1つでも前の順位で。

毎日毎日走り続けた。

僕はすべてを陸上に懸けていた。

小学6年生で走った「大文字駅伝」

その時のメンバー8人の内、いったい何人が走ることを続けたのだろう。

京都では有名なその小学生駅伝を目指し、毎朝みんなで練習をした。地区予選を突破し、都大路を駆け抜けた。全国高校駅伝や、都道府県対抗女子駅伝のランナーたちも走る、大きな通りだ。

家族や友だち、地域のみなさん、たくさんの人に応援してもらった。

沿道の声援と澄んだ冬の空気に包まれ走ったあの日の光景は、12才の僕の心に深く残った。

最終結果は約50チーム中、真ん中ぐらい。その日を最後にチームは解散し、みんなは野球やサッカーやバスケ、あるいは私立中学の受験勉強へ戻っていった。

僕は公立中学の陸上部に入った。

引退した3年生の11月まで、練習をしなかった日は片手で数えられる。

勉強も他のスポーツも得意ではない僕にとって、唯一胸をはれること、人を感動させられること。

それが走ることだった。

朝夕の練習は相当厳しかったが、先輩も優しく、やりがいを持って取り組んでいた。

暗くなるまで走る。家に帰ってご飯をかきこみ、風呂に入り布団に倒れこむ。目を閉じて開けると、もう次の日だった。

もともと細かった体は、ほとんど骨と皮だけのガリガリになっていた。

1年生だけの試合では、市で10番目以内に入れていたが、2年生になると一気に難しくなった。

なかなか記録が伸びず、焦りがつのる。

練習では後輩や女子に抜かれることもあった。

中2の秋、あれだけ好きだった走ることが苦しくなっていた。

ある日、僕は足を止めた。冷たい汗を滴らせながら、グランドの隅を歩く。顧問の先生に呼び出される。

「おまえ、病院に行ってこい」

診断名は「貧血」

突発的にめまいがするようなものではなく、活動に対しての栄養が足りない慢性的な貧血状態。

激しいスポーツをする痩せ型の中学生はなりやすいそうで、男子でも珍しくないらしい。

薬をもらい、次の日からはジョギングやストレッチなど、軽い練習に切り替わった。

「ゆっくりいこう」と自分に言い聞かせつつも、風を切って走るみんなの姿を見ていると、悔しさがこみ上げてきた。

「駅伝という目標を目指すチームの足をひっぱっている。僕は必要ないんじゃないか」

そんな気持ちを抱えながら1週間ほど経った昼休み、顧問にまた呼び出された。

「失礼します」

職員室に入り、先生の机の横に立つ。

「おー、調子はどうだ?」

「調子はぼちぼちです。でも、みんなで駅伝を目指して頑張ってるのに、迷惑かけて情けないです」

「ふーん、中途半端な自分が許せないか?」

え? 声に出そうなところを堪えた。

「今は理想から程遠いかもしれない。でもな、おまえだけじゃなく、このチームには完璧な選手なんてひとりもいないだろ。完璧を目指すな、半端を認めて楽しめ。半端なまま、一歩一歩進めば、それでいい」

「……はい」 心が軽くなった気がした。

「おまえ、走るの好きか?」

「はい」 即答していた。

「うちの横断幕にあるとおり『ベストを尽くせ』だ。いつもうまくいくとは限らない。ただどんな状況でも、ベストを尽くすことはできる。日々、今できることにベストを尽くしていれば、必ず最高の瞬間がくる。先生も生徒を貧血にさせてしまうような、半端な顧問だ。でもおまえは貧血が治ったら、きっと強くなるぞ。どうだ、最後まで一緒に頑張らないか?」

それから僕はチームのために「走る」以外のできることもさせてもらった。タイムを計ったり、記録表を作ったり、みんなの練習を手伝った。

2、3カ月をかけて徐々に貧血もよくなり、全体練習にも合流できるようになった。

雪がちらつく日、溶けそうな暑さの日、きつい練習も走れる喜びに支えられ、乗り越えることができた。

気づけば3年の秋だった。

ずっと目指してきた「京都市中学校駅伝競技大会」

その日は雲ひとつない快晴だった。

会場の嵐山東公園は、陸上部員と関係者はもちろん、応援に来てくれた家族や地元の方々、通りすがりの観光客に修学旅行生、多くの人でごった返していた。

中学校最後の大会、僕は6区間ある中の3区4㎞を任された。

出番が近づいてきた。

やわらかい秋風が、首元を吹き抜けていく。

5位で襷を受ける。

一歩一歩を踏みしめて、走る。

とても調子がいいのが、感覚で分かった。

ひとり、またひとりと前の選手を抜いていく。

声援はなぜか遠くに聞こえ、ただ周りの景色は驚くほどよく見えていた。

曲がり角、後輩たちが持つ横断幕が目に飛びこんでくる。

「ベストを尽くせ」

ペースが上がる。もうひとり抜き、1位の背中に迫る。

追いつくことはできなかったが、そのまま2位で襷をつないだ。

チームの最終順位は37チーム中の2位、僕の個人成績は25年ぶりの区間新記録だった。

大きな夕陽に照らされた横断幕の前に集まり、みんなで写真を撮った。

最後まで続けてよかった。僕はやっぱり走ることが大好きだ。

あの時から僕は、移り変わる日々の中で、ただ今を見つめ、できることを自分に問いかけるようになった。

30代に入り、独立し、代表になり、夫になり、父になった現在も、半端な自分に寄り添い、完璧ではない道のりを楽しんでいる。

無理せず焦らず、今にベストを尽くしていれば、そこに悔いは残らない。あるがままの自分で、一歩一歩進めばいい。「ここまで来れたんだな」と、最高に心地よく感じられる瞬間が、きっとやってくるから。

さぁ今日も、少し走ってこようかな。







この記事が参加している募集

#部活の思い出

5,455件

最後までお読みいただき、ありがとうございます。彩り豊かな道のりを歩むあなたを、わたしも応援しています。いつでも気軽にお立ち寄りください^ ^