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【第13回】間違いなく良くなっていること、「らしさ」の問題

前回の記事はこちら▼

薄まる「らしさ」、残る「らしさ」

2019年11月上旬、やままさんの修正済み原稿が届きました。

アウトラインモードではなく、印刷レイアウトモードで読みながら「間違いなく良くなっている」と感じます。無駄がなくなり、切れが増しているのです。

そこはブログの記事にあったやままさんの個性と裏表のもので、逆に自分としては手を入れることを躊躇していた部分です。残っていても(個性として)問題ないかなと思っていたのですが、こうして見ると質的な違いは大きいと感じます。

そのあたりの塩梅をどう考えるかというのは、今回個人的にいちばん勉強になった点のひとつでした。

前回に引き続き、発売後に行われた会話より。

Tak. 個人的には「やままさんらしい文章だな」と思っていたところがけっこう直っていて、より普通の文章に近くなってたんですよね。だから読みやすくはなったんだけど、ブログを読んでいて感じていた「らしさ」がちょっと薄れたかなという気がしなくもなかった。ただあの量なので、結果的にはちょっと薄まった方が全体としてのバランスは良くなったかもしれない。

やまま それもブログと書籍の違いなんでしょうね。ブログはもっと「ナマ」って感じの方がいいんですけど、いざ書籍としてまとまっちゃうと、全部が全力でナマだともうちょっと落ち着いてほしいなみたいな……。

Tak. そこは本当に難しいところで、個人的には『凡人の星になる』を読んだときに、面白いんだけど「やままさんらしさ」がちょっと薄くなっちゃったなという印象を抱いたんです。

やまま そうおっしゃってましたね。押さえられてるというか。

Tak. ちょっとそれがもったいなかったなという気が個人的にしたので、逆にアメリカン本の方はもっとやまま節全開にしたいなと思ってたところがあったんです。だから敢えて「ちょっとくどい」と感じるところもそのまま行っちゃおうと思っていたんだけど、あの量でできあがってみると、やっぱり直した方がよかったなと。

やまま 私、2回も時間もらって相当直したという自負があったんですけど、それでも読んでくれた知人から「序盤の方はすごくくどい、笑わせにかかってる感じがありありと見えて共感性羞恥になった」と言われました。

Tak. すごい感想くれますね(笑)。

やまま まあ親しい間柄なので(笑)。だからこそそう思ったんでしょうけどね。

Tak. じゃあ直してなかったら一体何を言われたものかわかったものじゃない(笑)。

やまま ページめくってもらえなかったかも……。

Tak. ということでぼくが個人的に学んだのは、そういう「らしさ」みたいなものも量のことを考えないといけないんだなということでしたね。今回は10万字あるので。どれだけ直してもやままさんが書いたものだから「らしさ」は随所に残っているわけで、読んでくれればその部分はちゃんと印象に残る。だから結果的には直したのは正解だったなと今は思います。

校正大会(その1)

11月15日、やままさんとコワーキングスペースCo-Edoに集合。

やままさんにプリントアウトした原稿を持参してもらい、ふたり並んでひたすら紙をめくりながら校正する。

こういうとき、やはり物理的にそばにいて、ちょっと声をかけて「ここは意図的?」とか確認できるのは楽です。疑問や確認事項があればその場で確認できるという機会はありがたいものです(今からちょうど1年前のことです。1年後に世の中がこんなことになっているとは)。

すでにやままさん側でかなりの校正を行っているので、大きなミスはほとんど見つかりません。もちろん細かい誤字脱字はどうしたって避けられないので、違う人間の目で見ることは重要です。

校正作業は18時までに8割方終わりました(2割は終わらなかったともいう)。続きは各自家でチェック。この修正を反映したらあらためてEPUBを作り、以後はEPUB上で校正する予定。ここからは仕上げフェイズに入っていきます。

合間を縫ってやままさんのCo-Edoスタッフ仲間である松永みなみさんを交えて簡単な打ち合わせをします。

みなみさんの本業はイラストレーター/デザイナーで、今回はやままさんからの依頼で表紙のイラストとデザインをお願いすることになっています。今日は細かい話はせず、プロジェクトの主旨、どんなことをお願いしたいのかのざっくりした説明、スケジュール、費用のことなどをざっくり話しました。

最後の難関、表紙づくりについては次回。

(つづく)

最終的にできあがった本はこちら▼


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