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【第12回】読み直す苦痛、バランスと正解

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前回「どうしてもがまんできない!」ということで、原稿の大幅改訂を始めたやままさんが、何を思い、何を直していたのか。その時点ではまったくわからなかったのですが、発売後に別件(というかこの連載の件)で打ち合わせしたとき、そのときの様子をあらためて聞いてみました。

昔の記事を読み直す苦痛

Tak. いったんEPUB化して、それを画面で一緒にチェックしてだいたい行けるんじゃないかと言った後でかなり直したじゃないですか(笑)。あのときはどんな気持ちでどんな修正をしてたんですか?

やまま 6月に「時系列で行こう」と決まったんですが、その段階で「これは絶対にいらない」という記事は排除してありました。そこでもう一度イチから読み直して文章を整えるという作業をしたわけです。するとどうしても、いちばん最初に目を通すのが5年前に書いたいちばん稚拙な記事になってしまう。逆からやるという作戦も今思えばあったんですが、愚直に最初からいっちゃったので……。その昔の記事が非常にしんどいんです。直すところまみれなんですよね。
 もともとブログをAmebaでやってたからかもしれないんですが、改行が多いんですよ。短い文で、読むどころかぱっと見でダメな文章だってわかるんですよ。

Tak. あの感じはアメブロ風だったんだ。

やまま かもしれないです。とにかく一文が短くてすぐ改行してという感じだった。それと人を笑わせたい、私は面白いでしょと言わんばかりの表現がものすごく多くて、それが暑苦しすぎて直すのに本当に時間がかかったんですよ。私はたすくまユーザーなので、リピートタスクにして毎日取り組んでいたわけです。1日1記事くらいの意気込みでやってたんですが、1記事すら直せない日もけっこうあって。読むというか見るのも辛かったんですね。

Tak. 見るのも辛い! ぼくはそんなふうには感じなかったんだけどな。

やまま なんか自分の中で黒歴史化しちゃっていて。

Tak. 自分だから余計そう感じるるのかもしれないですね。

やまま その進まなさって、たとえ話ですが初めてバリウム飲んだときみたいでした(笑)。

Tak. それはツライ(笑)。

やまま 今日もたすくまの記録とか見たんですけど、メモが残っていないんですよ。ただ無心でやってたんだと思うんですね。やだなやだなと思いながら。記憶がないんですよ。ベルトコンベアーで流れてくる作業で思い出を語れる人はそんなにいないというか……。

Tak. そんなに嫌だったんだ……。

やまま 後半になると今書いている文章に近づいているので、だいぶやりやすくなってスピードも上がったんですが。序盤に時間をとられちゃったので、今思えば最近のものからさかのぼる形でやっていけばよかったなと思います。

変化をどう組み込むか

長くブログを書いていれば、当然その間に書き方や文章のトーンが変わってくるということが起こります。「本」としてまとめる場合、その扱いをどうするかという問題が生じます。

実用書的なものの場合はおそらく統一した方がいいと思うわけですが、本の性格によっては必ずしもその必要はないのではないか。特に今回の「喫茶アメリカン本」は、全体の統一感よりも時間の流れ(その中での変化)を感じられることが重要だと思うわけです。

ちなみに文体の不統一については、途中で明らかにトーンが変わるところ(敬体が常体に変わる)で注釈を入れた上で、そのまま生かす方針になりました。

他人の目を通す

Tak. たしか7月25日の段階で、コンテンツ自体は揃っていたからEPUB化するとこんな感じになるよという見本を作ったんですよね。それを見ながらCo-Edoで一回打ち合わせして、後はもう仕上げに流れ込んでいくだけかなと思っていたら、その後でものすごい直してきたので驚いた。何をそんなに直してたのかなと思って。

やまま 本当はどういうふうに工夫して直したのかとか話したいんですけど、ただただ「気にくわない表現を消す」っていう感じですね。

Tak. ぼくはそういう作業が大好きなんだけど(笑)。

やまま ええー(笑)、そうなりたい。これを自分が書いたと思うと……という感じで。人のだったらもっと楽に直せたんでしょうけど。

Tak. 逆にそこは一応編集をやると言っているTak.さんにやらせちゃえとは思わなかった?

やまま ああそうか(笑)。その頭はぜんぜんなかったですね。自分のケツは自分でふかねばと思ってました。でもそれをお願いするというのは共同作業のメリットでしょうね。

Tak. 他人の目を通して一回直すというのはありですよね。直さないまでも、プリントアウトにコメントをもらうくらいのことはしてもいいかもしれません。たしかやままさんが本格的な修正に入る前に、何本かの記事をプリントアウトしてそれをやったんですよ。

やまま 少し文字入れてくださってましたよね。

Tak. そう。一回やったんだけど、前半がやままさんが言ってるほど悪いとは思わなかったんですよ。

やまま ああ、だから自分の目線と違いますね。

Tak. 改行がちょっと変だとか、見出しの付け方をちょっと直した方がいいとかはあったけど、そんなに悪いという認識はまったくなかったから、やままさんが自分でものすごく大幅に直してきて驚いたんです。

やまま そうか、それは面白いですね。

Tak. 逆に言えばまかせちゃっていたら……。

やまま 直せないですよね。

Tak. 直せないし、やままさんが見たくもない状態のまま出ちゃった可能性がある(笑)。

やまま ああ、それはおおありですね。そうだそうだ。

Tak. だから結果的には正しい判断をしたわけですよ。

やまま そうですね。基本的にくどいものをぜんぶ退かしたという感じですね。

Tak. たしかに読みやすくはなってる。ブログの読者としては、あのくどい感じがやままさんだと思っちゃってるから、その感じが残ってるのはぜんぜんいいなと思ってたんだけど。

やまま そうですよね。

Tak. まあ本人はそうは思わなかったと。

やまま そうですね。そこをなるべくフラットになるように気をつけましたね。

バランスと正解

Tak. ただ、今あらためて思ったんですが、ぼく自身はそんなに直さなくていいと思ったんだけど、最後にできあがってみたら全体としてのバランスが見違えるように良くなっていたので、それはやままさんが正しかったんだと思いますね。

やまま 個人的には最初の大幅直しというのはけっこうやっつけ仕事でみたくないものにふたをする感じでどんどん削除していく作業という印象が強くて……。

Tak. やったことといえば主に削っていった感じですか?

やまま そうです。足したことはないですね。

Tak. たしかに文字量は減ってたな。

やまま そうしてどんどん潰していったのが大幅修正のときのタイミングで、それでやっと自分でもう一回読めるかなという気持ちになったということなんですね。

Tak. それが9月以降の話ね。

やまま 校正のときに大暴れしたのはそういうことですね。やっと読めるようになって精読したら、てにをはレベルで気になってきたという。

Tak. そこではじめて精読できたのね。

やまま そうなんです。

Tak. とかやってるうちに、これは「サンドイッチの日」には間に合わないなという話になっていったわけですね……。

やまま そうなんですよ。ちょうどそのくらいになると倉園佳三さんの「ノープランライティング講座」というのに通わせてもらっていて、今まで一度も習ったことのなかった編集者目線での校正テクニックを教えてもらっていたので、余計気になったんですね。

Tak. それを知った目で見てしまったら……。

やまま たとえば「○○なので」とか「○○だから」とかを使うと稚拙な印象になるよみたいなことを先生が言っていた気がするなとか思うと、ちょっと強調されて見えてきて。

Tak. 受け身が連続するとか、「○○のこと」が一段落に何度も出てくると良くないとか……。

やまま あ、そうですね。あとその頃WEBメディアの編集のお手伝いもしていて、マニュアルみたいなのがあったんですよ。そこでライターさんは「することができる」みたいな言い方をしがちだけれど、普通に「できる」に置き換えられるよねとか……。

Tak. ありますね(笑)。ぼくは非常にそれが多いです。

やまま 副詞は動詞の近くに置いた方がいいとか(笑)。まあそのへんの知識が入っちゃってたから、余計に直したかったんですよね。

Tak. 一度目は主に気になるところを削る作業をしたのに対して、二度目は主にそういういわゆる一般的な編集的な修正をしていたということですね。

(つづく)

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