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【第1回】セルフパブリッシングについて思うこと

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自由

書きためたブログ記事をセルフパブリッシングの電子書籍にする。KDP(Kindle Direct Publishing)をはじめとして、今やめずらしいことでもなんでもありません。私はこれをすばらしい「仕事のやり方」だと思っています。より正確にいうと、すばらしい「仕事のやり方」でありたい(変な日本語)と思っています。

商業出版の機会もいただき、もちろんそれは本当にうれしいことでしたが、やはり最初にKDPで出版したときの達成感は特別なものでした。自分ひとりで「本」(と敢えて呼びます)を作りあげることができた。そしてそれを多くの人に読んでもらえた。ましてお金を出して買ってもらえた。こんなすばらしいことはありません。企画会議を通すこともなく、自分が作りたい本を自由に作って売れるのです(私自身のケースでいえば、セルフパブリッシングがきっかけになって商業出版のお話をいただきました)。

責任

一方で、自由の裏返しは責任でもあります。セルフパブリッシングには編集者がいない。営業もいない。校閲もいない。ぜんぶ自分でやらなければならない。ということは、ひどいクオリティの「本」を出すことだって可能だということです。

あんまりなやつ(たとえば途中3分の1が白紙とか?)は、プラットフォームからストップがかかると思うのですが(それが「高度な表現」でないことを証明するのは実際には簡単ではありませんが、ここでは置いておきます)、それでも編集も校正もなされていない「本」を出すことは可能です。その自由をも書き手は手にしたわけです。

けれども、セルフパブリッシングの本を買って読んでみたら○○(下品な表現を代入してください)だった。そういう経験が何回も続いたら、読者は「ああ、やはりセルフパブリッシングはダメだ」と思うのではないでしょうか。

私自身、そう感じざるを得ないものを目にしたことが少なからずあります。それどころか、低いハードルで「本」が出せることに乗じて、明らかに質を無視して大量生産しようという姿勢を目にしたこともあります。たくさんの素敵なセルパブ本、面白いセルパブ本がある一方で、そういうものも確かにあるのです。セルフパブリッシングではそれができてしまうのです。

でも、そうした姿勢は最終的にはセルフパブリッシング自体を衰退させることになるはずです。その意味で、セルフパブリッシャーは自分だけでなく他のセルフパブリッシャーに対する責任も負っているのです。

誠実

もちろん専門の編集者がいないし校閲の人もいないのだから、そこには限界があります。個人があらゆる面で商業出版と同じレベルのクオリティの「本」をつくるということは、(一部の例外を除いて)無理があるでしょう。

「本」を作ることは簡単ではありません。2,000字のブログ記事を20個集めて40,000字の「本」ができるかというと、そんなことはありません。あるいは1日で2,000字のブログの記事をひとつ書ける人が20日間で40,000字の「本」を作れるかというと、やっぱりそんなことはないのです。

書き下ろすことはもちろん、たとえばブログで書きためた記事をまとめることだって一筋縄ではいきません。記事を順番に並べても「本」にはならないのです。量が増えるにしたがって、その難しさは加速度的に増します。もちろんクオリティを担保するための作業の負担も増していきます。そのすべて自分ひとりでやらなければなりません。そしてどれだけ時間と労力をかけても、収益は約束されない。

でも、そこには(古びた言葉を使えば)誠実さが現れます。誰もが発信できる時代、誰もが出版できる時代だからこそ必要とされる誠実さです。個人としてできるかぎりの質のものを届けようとする姿勢、気持ちがあるかどうかです。そういうセルパブ本を私は何冊も知っているし、自分が作るものも、そうでありたいと思っています。

その上で、出す以上はもちろん収益を追求したいわけです。上の段落を満たしているからこそ収益を追求できるし、そうしたいとも思います。収益だいじです。

この人の文章をまとめて読みたい

いろいろ書いてしまいましたが、セルフパブリッシングが可能になったのは単純にすばらしいことだと思います。さまざまな理由で出版社からは出せない、企画会議を通らない、けれども面白い「本」が世に出る可能性がある。そういう「本」の潜在的な書き手はたくさんいるはずです。

ブログやnoteを読んでいると、そういう書き手に出会うことがあります。この人の文章をもっとたくさん、まとめて読みたいと思う。あるいはこの熱量がひとつのカタチとして手にしたいと思うことがあるのです。

やままあきさんのブログ「言いたいことやまやまです」もそんなブログのひとつでした。中でも個人的に気に入っていたのが「喫茶アメリカン」のシリーズ。ひとつの喫茶店に何年も通い続けてレポートする。やままさんは「食レポ」と呼んでいるけれど、そのしつこいまでの繰り返し、積み重ねから立ち上がってくるもの(凄みというか何というか)は単なる「食レポ」をはるかに超えています。

やままさん「喫茶アメリカン」の本を作ればいいのに、とずっと思っていました。

(つづく)

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最終的にできあがった本はこちら▼


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