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花降る空に不滅の歌を

フラッドが京都に来ていた。残念ながらチケットは買えなかったけど、オンラインで配信してくれた。本当に良い時代になったものだ。

数年前、仕事に、人生に、悩んでいた時に、そっと背中を押してくれてるとかじゃなく「そんなんで良いのかよ!クソが!」って感じで力強く背中を押してくれたのがフラッドだった。今、悩みはない。目の前のことをやるだけだ、っていう整理が出来ている。そんな気持ちで今、フラッドの音楽に向き合うと、聞こえ方がぜんぜん違う。なんとなく、今、フラッドを聞かないといけない気がして、聞いてみると「その調子で、まだまだやれよ」って気持ちにさせてくれる。

フリーライヴには行けなかったけど、とても良いインタビューだった。化石になっちゃうかもしれない。でも、ロックンロールは幻想ではない。プロがここまで試行錯誤して、信念持って頑張っている。

自分に弱いのは、多分、「信念」の部分で「で、結局、何がしたいの?」「それでタクは面白いの?」という、複数の仲の良い友人から昔もらった質問には今も上手く回答できない気がする。それでも、数年前にフラッドに出会った時よりは、成長できている。と、思いたい。

そろそろ街中に花が咲く。去年、桜の季節に間に合うように引っ越してきたが、あっという間に1年が過ぎた。引っ越してきてから、興味の幅は広がるばかりだ。1年どっぷり京都に浸ってみたものの、奥が深すぎて全く掘り足りない。

毎日のランニングに、京都検定、京都マラソン、毎週図書館では京都関連の本を読み漁っている。たまに大阪や神戸の郷愁に浸りながら、5年前、京都に赴任した際に思った「もっと掘りたい」という気持ちに忠実に過ごしてきた。実際に住んでみて1年が過ぎたが、これだけ好奇心を駆り立てる街も珍しい。日々、多くの気付きや出会いがある。

リモートワークになって3年が過ぎようとしているが、仕事にも飽きるどころか、当時より、のめり込みながら働くことが出来ている。この感覚を持てているだけで今の時代、幸せなことなのだろう。刺激的な出会いが日々あり、自分の価値が毎回試される。目まぐるしく過ぎる日々の中で、今週、意識的に内省する時間を取ったが「何とかついていっている」という感覚が自分の中から出てきた。

これまで、マイペースに仕事をさせてもらえていたところから、周囲の期待値が変わり、何とか、そこに上手くミートしていきたい気持ちが強い。コンフォートゾーンを超えた適度な緊張感があり、メリハリがついて良い状態なのかも入れない。自分自身のそういった状況をメタ認知しながら、バランスを取りつつ、お客様にも、そんな環境を案内する。なかなかに面白いチャレンジが続く。

自分のクセなのか、その時の「最適解」を模索し、上長や顧客に報いるように働いてきた。社畜気質とも言えるだろう。それは学生時代も同じだった。なんとか周囲の期待に応えようとする力学が強く、うまくいったことも、うまくいかなかったこともあるけれど、各所で全力を尽くしてきた。「これが本当に自分のやりたいことなのか?」とか、色々考えることもあるけれど、器用貧乏で、そういう風にしか生きられないのかもしれないし、そのスタンスで生きてきて、33年、そんなに悪いようにはなっていないわけで、間違っていなかったのかなと自分を認めるプロセスも挟むようにしている。そんな優しい気持ちにさせる雰囲気が京都には流れている。

花降る頃までには、何かしら言語化したい。

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