「場の匂い」
トップのやきとりの画像を見て、なんとなく鼻の奥に香ばしい匂いを想像した方いらっしゃいますか?(よね?)
前にインタビューをされた時に、「山形さんは森町のどこが好きなんですか?」と言われた時、反射的に出てきた言葉
「匂いです。」
僕は何かを思い出すたびに「匂い」も同時に思い出します。
また、「匂い」を嗅ぐたびに、その似た「匂い」で別なことを思い出したりもします。みなさんもそんな経験、ありませんか?
匂いには「何か」を保存する機能があるのか
冒頭、「山形さんは森町のどこが好きなんですか?」との問いに「匂い」と答えた僕ですが、当然のことながら「え、え、どういうことですか?どんな匂いなんですか?」と聞かれました。
「う、うーん。く、臭い?w」
決して自分の住んでいる街をけなしているわけではないのですが、臭いのです。時期によって。
ご存知の無い方もいらっしゃると思いますので、簡単な説明ですが、僕の住んでいる町は北海道森町という町です。有名な函館から北に50km弱に位置します。
海に面し、山に囲まれ、漁業農業といった第一次産業が盛んな町です。また、漁業は養殖業が盛んで、ホタテや牡蠣なんかを作っています。
このため、時期になると、なんともかぐわしい匂いが街の中を覆います。
畑に使う、肥料。養殖を行うためのカゴや水産系のゴミの一時保管。街の中を走る帆立や魚満載のトラック。住んでいる場所にもよりますが、それらが同時に家を囲むこともしばしば。
でも、臭いんですが、臭く無いのです。いや、臭いんです。でも臭く無い。
ここ数年は、縁あって、講師として呼んでいただくことが多く、いろいろな街に行きますが、自身の街に帰ってきて、深呼吸すると
あーーーーーー最高!!!
となるわけです。
ほんの数日離れただけにもかかわらず、匂いを嗅ぐことで安心感を得ることができるのです。一体これはどういうことなんでしょうか。
・・・
「何か」とは「何か」
餃子です。お腹すきますよね。奥にはビールも見えますね。焼き餃子の香ばしい匂い、そしてビールの香り。ああもう、いうことないですね。
次にこの写真を見てみましょう。
山です。この場所の匂い、想像できますか?
僕はこの場所の匂いを思い浮かべることができ、「また遊びに行きたいなあ」と思うのですが、経験していない方だと、そもそも匂いすら思い浮かばないはずです。ここであることに気がつきます。
その匂いを経験しているかどうか
匂いはその経験・記憶を切り取っている感じがしています。
例えば先ほどの餃子は、「京都の餃子の王将 七条烏丸店」のものなので、僕は、街の匂いまで思い浮かべてしまいます。
でも、そこにいったことがない人であれば、餃子の匂いしかしないはず。ビールを飲まない人ならなおさら餃子の匂いが強いのかもしれません。
・・・
匂いに画像は必要か
さて、みなさんは梅干し好きですか?
おっと、奥歯の奥付近で唾液がちょっと出る感じ、ありますよね。なんでなんでしょうね。「梅干し」って書いているだけですっぱい感じがします。
「ああ、思い出しちゃうよねえ。梅干しの....」
何を思い出しますか?
味?味というか、あるかないか微妙な感じだけど、なんか、匂いな感じしません?
絵があっても無くても「匂い」を感じてしまうということは、どうやら人は臭覚自体もなんらかの記憶媒体になっている可能性もあるのかもしれませんね。
ばあちゃんの家の匂い、小さい頃遊びにいった場所の匂い、あの時の恋人の匂い、思い出のお店の匂い、初デートで一緒に食べたたこやきの匂い。
この文脈で考えると、あら不思議。堆肥の匂いも全然臭くないんです。
・・・
匂いを嗅ぎたい
ちょっと、書いている字面だけみるとクレイジーだなと思いつつも(笑)、匂いについて考えていけばいくほど、重要な感じがしています。
その場所の雰囲気というのは、視覚や触覚、聴覚だけでは無く、臭覚とそれに付随した味覚、とにかく感覚という感覚全部で感じていたんだなあと実感しています。
空気にも味、ありますもんね。
- ・はじめて降り立った土地の空気の匂い
・友達と一緒にワイワイやりながら居酒屋で飲んでいる時の匂い
・イベント会場の音響設備の匂い(ありますよねw)
・都会の中にあふれる複雑な匂い
・初めていく一本道の道路横の草を刈ったばかりの匂い
・初めましてとあった人の服の匂い
とにかく今年は匂いの経験値がたりません。
リモートが市民権を得て、一気に世の中がデジタルシフト、というか、バーチャルシフトし始めていますが、何かに一辺倒になるのでは無く、いろいろな感覚を味わいたいですね。
こういうすべての感覚で味わうというの、異なる文化を許容するという感覚にもにてるなあ。うまく言えないけど。
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