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あれから4年。

事業を承継して、5年目に突入。

4年前の2018年2月1日に、その年の年始に急逝した父の後を継ぎ、千年建設会社(ちとせけんせつ)の代表取締役社長に就任しました。

名古屋は熱田神宮の近くに本社を構え、東京や北関東、福井にも小さいながら出張所を置く中堅の建設会社です。
新築の建設・建築に加えて、修繕/営繕(工場等が稼働しながら修繕すること)に強みがあり、東海地区を中心とした製造業の ものづくりを縁の下から支えてきました。

あれから丸4年が経ち、今月から5年目に入りました。
長かったような、あっという間だったような、、そんな節目のタイミングに、当時を振り返りながら、起こった出来事と当時の想いについて振り返っておきます。


そもそも、継ぐ気は全くなかった。

1977年に、大阪の西成区で生まれ、名古屋で育ちました。
その昔、曾祖父が大阪で建設会社を立ち上げ、その後に会社も紆余曲折あり、父が我々家族と一緒に名古屋に移り再起を期して 新たに千年建設を創業しました。

そんな家系の長男として生を受けた僕自身は、家業を継ぐ気は全くありませんでした(本当に)。

進路選びも理系や土木建築方面ではなく文系を選び、大学時代には一年休学してバックパックを背負って世界30カ国以上を旅して回りました。

旅の途中で出会った世界の広さと深さがずっと心に残り、それからのキャリアは自分自身の価値観を信じて挑戦する道を歩んできました。

二十代は、
バックパッカーから会計士試験に取り組み、なんとか合格した後、企業再生を中心としたプロフェッショナルな仕事に必死に向き合いました。
その中で、ビジネスの難しさと可能性を学びました。

三十代は、
自分にとって原点の一つであるバングラデシュでのソーシャルビジネスとの出会い(当時はそういう言葉もなかった)が忘れられず、原点回帰すべくNPOの世界に飛び込みました。
その過程で、非営利組織の経営の難しさと現場の奥深さ、そして感動を骨の髄まで味わいました。

この辺りについては、ETIC.のWEBメディア「DRIVE」にて4回連載で丁寧に纏めてもらっているので、よろしければコチラをご参照下さい(2013年の記事なので、かれこれ9年前…写真が若い。。)

https://drive.media/


晴天の霹靂…

その様に家業とは無関係なキャリアを歩んでいたため、千年建設との接点は全くありませんでした。

10年ほど前に、後にも先にも一度だけ、父から「うちの会社に入るか」と聞かれたことがありました。
その時、“自分の道を歩みたい”と伝えた僕に対して、一瞬寂しそうな表情を見せた後、父は僕のチャレンジを応援してくれました。

「そうやな、お前は自由に挑戦する方が向いてるよな。その道も大変やけど、頑張れよ」

と。
それからは、実家に戻った際に顔を合わす度に、

 父
「ちゃんと飯食ってるか」
「しっかり稼いでるんか」
 僕
「まぁ、ボチボチやってるよ」

の二言三言だけが、僕と父のいつもの会話でした。

…今から考えると、トップダウンでワンマンな経営者だった父は、次にバトンを渡す後継者を育てられておらず、それが最大の悩みだったのでしょう。

そんな経緯もあり、父の急逝は会社にとっても大事件でした。
僕自身の心の整理をつける暇もない中でなんとか葬儀を終えた翌日、「会社を継いで、社長になってもらえませんか」と、役員の皆さんからまさかの依頼をされたのです。

まさに、晴天の霹靂でした。

それから1週間ほど、人生で一番悩んだというくらい、ギリギリと悩みぬいた末、、僕は社長就任の依頼をお断りしました

建設業の現場感も会社の皆さんとの関係性もない自分が、中途半端に引き受けて出来る仕事ではないのは分かっていたし、責任感から「自分が全て背負う」という決断は、ゆくゆくは周りのためにも自分のためにもならない、と考えるに至ったからです。


そんな僕が、家業を承継して社長になった理由。

会社の経営陣の皆さんは、そんな僕の決断に理解を示してくれました。

しかし、受け止めてはくれたものの、途方に暮れている会社の皆さんの姿を目の当たりにし…あぁ、父が大切にしてきた方々は良い方ばかりだなぁ、と実感し、心が動くのを感じていました

そこから更に一週間の時間をもらって悩みに悩み抜く中で…最後は"ここでやらないはないな"という所が腑に落ちて、笑って引き受けることにしました。

やはり、父が手塩にかけてきた会社があり、残された家族も会社の方々も困り果てている中で、"身近な方々を大切にする"ことが、自分の本分であり、人生の喜びと思いました。
それまで取り組んできた「社会課題」という広く大きな課題とは違うかもしれないけれども、少なくとも自分自身にとっては とても大きなテーマが目の前に広がっている、ということに気が付きました。

使命感や責任感は当然にありましたが、それ以上の何かが見えた気がします。最後は、論理ではなく直観というか、自然と肚が決まった、そんな感覚でした。

そして、一度はハッキリとお断りしたことに、自分自身にとってのリーダーシップの成長を感じました。
まずは、自分を大切にすることから全てが始まるので。


…あれから、丸4年。
相変わらず大きな波が次々と現れる怒涛のような日々を送っていますが、大変ながらも楽しくやってます(^^)

当時のFacebookを開いたら、こんなことを書いていました。

父が他界した日から、ちょうど2ヶ月目の今日、お別れ会の場には300人以上の方々が集まるとても温かい時間となり、父との魂レベルでの対話も出来た気がして…いろいろな意味で一つの節目の日でもありました。

自分にとっても新しいチャレンジが始まりますが、これまでのソーシャルセクターでの経験を活かし、ローカルかつ建設業の現場に身を置きながら、引き続き、事業性と社会性の両面を追求してゆきたいと思います。

地域の中にある伝統的な事業をソーシャルな世界観から推進することで、あらたな世界観を体現できれば良いな、と。

https://www.facebook.com/takuyaokamoto77/

…あらためて、人生は先のことなんて誰にも分からないな、と実感します。
そして、その時その時に精一杯の決断をしたら、後はその決断を正解にするかどうかは自分次第、楽しみながら全力で行動する、行動し続けるしかありません。

これからも旅路は続きますが、仲間たちと一緒に頑張ってゆきます。

そんな感じで、2つ目の投稿から長くなりました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

これからも節目節目でnoteに纏めてゆこうと思います。
フォローしてもらえたら、喜びます!よろしくお願いします(´-`*)

P.S
弊社の紹介動画を添付します。
15分程度の動画になります。

ここで書いた内容について話しているのが収録されており、また現場の皆さんが熱く語っている内容が感動的だったという感想もいただいているので、よろしければご覧くださいませ(僕はだいぶ体重オーバーな時期ですが、建設会社の社長に就任して頑張っていた頃、ということで。。(^-^;(笑))


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