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写真日記 : Tokyo は

この間ロケハンでレインボーブリッジを車で渡った。渡りきるぐらいの辺りで、そこの建物に友達が住んでてと、隣の席に座ってたCMのプロデューサーが世間話を始めた。

「へー」なんて冷静を装って話してたけど、お台場に住んでる人が本当に居るの!なんて心の中は新発見。勝手に盛り上がってた。普通に考えたら、そりゃ住んでる人は沢山居るだろう。だけどTokyoに来て10年を過ぎても、未だにテレビ局とイベント会場とアウトレットのイメージが抜けないでいた。

完全に個人的で貧相な思い込みとイメージ。

Tokyoは、まだ知らないことばかりだ。

山手線の向きを覚える。これは初級。恵比寿とか赤坂とかに行きつけの店を持つ。何級かの前に、なんだか自分ぽくなくて苦手だなぁ。首都高全線の地図が頭に入ってて運転できる。これはちょっと中級っぽくていいかも。上級はなんだろな、なんてしばらくそんなことを考えてたら、車窓の外に、使い終わったスケートボードパークが見えた。

オリンピックが終わったTokyoはどうなって行くのだろう。

コロナの前は、オリンピックが開催されれば、やる前も、やった後も、しばらく仕事が増えて、世界中から人も沢山来てくれて、景気も上向いて、なんて期待値が上がる言葉が美しく並んでいたけど、今そんなことを信じてる人はあまりいないだろう。

使い終わっても新品みたいなお祭り会場を見てたら、こんなイベントみたいなものに景気ガーとか思ってたのが、そもそも神頼み的で、狂っていたのかもしれないなとも思えてくる。

生憎、あわよくば祭りの神輿は僕の場所にはこなかったし、そもそも神輿に乗れた人の方が圧倒的に少なかっただろう。

そこで実際に起こってたのに見えない感じ。関係ない感じ。外野にいる感じ。もはや外野さえ存在してなかったかもだが(客席もなかったし)

そして極め付けには、終わった瞬間にもう忘れた感じ。瞬間に消費されて、すぐに通り過ぎて行く。

どんな出来事も、ただただ通り過ぎていく車窓の景色でしかない。そう、この街に多くあるのは旅人の視点だ。不躾に、客観的に、外にいる人を見ることが許された旅人の目。

車でこの街を走るとより強くそれを思う。

結果、凄まじくTokyoっぽいオリンピックになるようにしてなったのだなとも思う。

そんなことを考えてたら、この街をもう少しの時間、ちゃんと歩いて記録し続けたいなと思った。

あと、僕はこの日、お台場に砂浜があることを初めて知った。

Tokyo。

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