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過去がそこにある

気を抜くと、もっとしっかり言うと無自覚にいるとあっと言ってる間に昨日とほぼ同じ夜を迎えている。

その夜を重ねて1年が過ぎ去っていく。30歳が近くなる時にこの感じがどんどん加速されて行ってすごく恐ろしくなったことがあるし現在も同じ。

今日と昨日の境目はまだマシだ。恐ろしいのは昨日と一昨日の境目、その先の境目、そしてその先。現時点よりどんどん遠くなるにつれて境界が曖昧になっていっ
てボヤけていくこと。

この加速感からどのように逃れたらいいのか?自分を覚えておくにはどうしたらよいのか?当時自分なりに真剣に悩んだ結果毎日写真を撮ることにした。

それからほぼ毎日写真を撮り続けている。

当時はまだCGだけをつくっていたが、その後映像の演出家になっていて、今や写真を仕事にしてたりもする。その今でもほぼ毎日、仕事と関係なく記録として撮影し続けている。

記録撮影することが自分にとっては曖昧な1日の区切りに決着を付け続けることになった。

そういうアーカイブ写真が溜まると、そういえば10年前の今日は何をやってたのだろう?と写真を見返す時がある。写真ソフトの日付をクリックしたら10年前の今日が目の前に立ち上がってくる。

その瞬間頭の中ではすでに溶けていなくなった曖昧な線がまた鮮明になるように、過去の自分の映像はもちろんその時に感じていた気持ちまでくっきりと頭の中に立ち上がってくる。映像が体験した時の気持ちのまま脳内に再現されていく。

線が鮮明に立ち上がって、まだ自分は覚えていたぞと確認することが、異様に自分の気持ちを安心させてくれる行為だと見返すたびに思う。

自分はいつも未来にやりたいことばかりで新しいことを割とすぐ始める。自分が仕事としてやってきたことを考えるとそう思うしやりたいことだらけでいつになったら自分は何者だと言えるのか?とやや諦めかけてもいるぐらいだ。

ただそうであればあるほど、自分が生き続けてやれることが増えていけばいくほど、ちゃんと進んだ全部を覚えておかないと、あの時の気持ちを覚えておかないと、ボーっとして寝て起きたら寿命が一瞬で終わってるかもと考えてしまう。そして多分生きるってそうやって一瞬で終わることだと思う。

過去がすぐ近くにあってくれればくれるほど、僕は暖かい気持ちになる。お金は持って死ねない気はするけど、思い出は持って死ねたらいいなと少し希望は持っている。脳に電気信号が行かなくなった時点で速攻忘れるんだろうけど。

写真があって助かり続けている人生


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Tauma
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