見出し画像

努力とは?

努力(どりょく)

力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。
https://kotobank.jp/word/努力-106568

努力とは基本的な定義として「自分のためにすること」なんです。人のためにすることではない。人のためにしていることであればそれは努力とはまた違ったことになるんです。

大前提として「努力」は「自分の目的のためにするもの」です。

では、自分以外のために力を使うことはなんというのだろうか?

「会社のため」だったり、「人のため」に自分の力を使うことは「尽力」です。


努力とは目標に向かって進んでいくことですから、「目標を達成することができた」という大きなゴールに到着してはじめて「努力をした」と言えると考える人も多いです。

すなわち何かを達成したときに「努力をした」というのであって、達成しなければ「努力をしていなかった」かのように思ってしまう。

結果を残していないのなら努力とは言えない」というのは僕は違うと思います。

結果が出なかったとしても、目標があって取り組んだことであればそれは立派な努力だと思う。

しかし、目標がなく取り組んでいたものは努力ではない。

どんな結果であっても「目標を持って、自分のために全力を尽くした」と言えるのであればそれは「努力」と言えるということ。

そして、その全力を尽くすことの中にも自分が「好きなこと」と「嫌いな事」があると思う。

好きなことをやることは「やりたい」から「やる」ことであって努力とは違うと思った。

これは「夢中」ということではないだろうか。

夢中になっているから周囲から自分をシャットダウンしてしまうことすらある。

本当に努力と言えることは「嫌いなこと」だけど「やる」ことではないだろうか。

僕がサッカーのトレーニングをしているときも、夢中と努力があるんだと思う。

自分の得意なことや好きなことをトレーニングしているときは夢中になっているから幸福なんだと思う。

だけど、嫌なこととか苦しいことをしているときは努力しているんだと思う。

ここでもう一度思い出していただきたいのが

大前提として、努力とは自分のために行う行動です。

「やりたくない」けれど、目標を達成するためには「やらなければならない」ことだと理解して取り組む事が努力ではないでしょうか。

自分のためであることと、目標があることによって努力が確立される。

そして、夢中と努力は違うんだと僕は思いました。


自分のために、嫌いだけど自分のために、自分の目標を達成するために取り組む事が「努力」です。

人のために行う努力をようなことは、実は努力ではなく「尽力」です。これは目的が大きく違いますので、その相手への信頼が薄いとすぐに断念してしまうでしょう。

そして、好きなことに対して行う努力のようなことは「夢中」になっているということです。


ぜひ、皆さんの意見もコメントなど頂けたら嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?