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#219 修身

戦後すぐにGHQにより廃止・回収・処分され、日本の教育現場から消されてしまったものがあるのですが、皆さんはご存知ですか?

それは、「修身」というものです。

戦前戦中の日本人にとって重要だったはずの常識、日本民族の価値観が、戦後の日本人には全く伝わらないようにされてきた。

言うまでもなく、GHQの日本占領政策によるものである。

もしこの修身が、戦後もずっと維持されていたとすれば、日本は他国の追随を全く許さない、恐ろしいほど発展した国家となっていたかもしれない。

米国はそのような未来を恐れ、大和魂の源泉となる「修身」の存在を、特に許さなかったのだろう。

しゅう‐しん シウ‥【修身】

自分の行ないを正し修めること。身を修めて、善を行なうよう努めること。

また、儒教の教典の一つに、

修身(しゅうしん)斉家治国平天下(せいかちこくへいてんか) という言葉がある。

「天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。」

という意味だ。

僕は普段、海外に身を置いて生活をしているので、より「日本人」として生活をしている。


まず、世界において日本人であることによって違うのは言語である。

しかし、言葉が違えど、人間の本質というのは変わらないということを理解しておいてほしい。

話す言葉が違うだけで同じ人間なのだから、本質として何が大切かというと人間性であると僕は考えている。

だからこそ、私達は絶えず人間性、すなわち人間力を高めるべく、学んで行かねばならない。

なぜならば、学びを深めて行く中で、人間力とはなんなのだろうかというのが分かってくるからだ。

最初から人間力が何であるかと分かった上で、学び始めることは有り得ません。

学び続ける過程で人間力は何かと、気付いていくということです。

そして、日本人というのはどんなものなのだろうかというのは、海外に身を置いてより感じていく。

先程あげた修身斉家治国平天下という言葉を簡単に言うと、世の中を平和にするためには、まず自分、次に家庭、次に国のために行動すべきであると儒教で孔子は説いています。

「何が正しいか、何が全体のためになるか」、「何が世のため,人のためになるか」というしっかりした価値判断の基準をもつ人間がこれから必要とされていくのではないかと思います。


ここまで、少し難しい話のようになってしまいましたが、簡単に話すと

これから大切なのは

自分が本当に何をやりたいのか、自分が幸せであるためには何が必要なのか。

そういうことだと思うのです。

それは、主体的であるということでもあると思います。
誰かに言われたからやるのではなくて、自分の内なる情熱や夢、目標、やる気というのに基づいて取り組んでいく。

どんな状態にいるのが自分が幸せであるのか。

それをしっかりと見つけなければならないと思います。
そうで無いからこそ、人への批判が増えてしまっていると思います。

まずは自分がどう生きることが幸せなのか。

それは自分にしかわからない。人に教えられるものでは無い。そういうもののヒントが修身というものにはあったと思う。

修身、自分がどうしているのが最も幸せであるのか。それをそれぞれが追求していき、自分を律すること。

「自分の思うようにして、則を超えない」

今は自分の思うこと、やりたいことを制限されている時代だと思います。それは、新型コロナウィルスによる社会的規制などによって顕著にあらわれているとおまいます。


いまは、そういうことを問われているのかなと思うのです。

人間である僕たちが本当に大切な事はなんなのか。

一時期、nomad workerと言われる人たちが増えてきましたよね。自分の好きな場所で好きなように、好きな時間に働く。

これはその一種だと思います。

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