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【移動】マンチェスターシティとバナナ風船の関係について【1 banana, 2 banana, 3 banana, 4】

*この記事は、2019年十一月に別のブログサイトに投稿した記事を移動させたものです。


ご無沙汰しております。
または初めまして。

突然ですが

チャランポランタンってご存知ですか?

ワンタンでもアンポンタンでもグーチョコランタンでもなく…

その正体は、国内外問わず活躍している姉妹ユニットのことです。

ボーカル担当のモモ(妹)と、アコーディオン担当の小春(姉)の2人で2009年に結成。曲によってカンカンバルガンというバックバンドを加えて編成しており、中東など様々な世界の音楽を取り入れつつ、全体的に独特な世界観を持った歌と演出が特徴です。アメリカで単独ライブを成功させた経験がある他、Twitter創業者のジャックドーシーが大絶賛して、日本人アーティストで初めてツイッター垢をフォローしたそう。


逃げ恥オープニング曲『進め、たまに逃げても/チャランポランタン』

そして何より、チャランポランタンといえば、

3年前に大ヒットしたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のオープニング曲に抜擢されたのですが………星野源の『恋』の陰に隠れてしまった感は否めず非常に惜しい…。まあ恋ダンスの振り付けは、女神Perfumeの振り付け演出を手掛けるMIKIKO先生が担当していたので、パフュクラの筆者としては少し複雑…。てかもう逃げ恥から3年経つんですね…。

そんな結成10周年の姉妹ユニットのことを、「独特な世界観を持った歌や演出」をすると先程書きましたね。

それを象徴するのが、彼女たちが歌っているカバー曲「ハバナギラ(Hava nagila)」という曲です。


チャランポランタンのカバーバージョン↑



この曲は、イスラエル民謡の代表曲の1つ。ウクライナとルーマニアの境にある地方で出来た曲を元に、第一次世界大戦やバルフォワ宣言中、パレスチナ地方において、イギリスの勝利を祝う歌として作られたそうです。

日本人に馴染みのなさそうなイスラエル民謡ですが、実は、みんな懐かしの『マイムマイム』もまた、イスラエル民謡のフォークソングなのです。


学校の授業や運動会、そしてキャンプファイヤーなどで一度は歌い踊ったであろうマイムマイム。「mayim」は水を表し、未開拓だったイスラエル地方をユダヤ人が開拓し水を掘り当てた喜びを表現しているのだとか。ちなみに、日本に普及したきっかけは、戦後、日本の占領政策を進めたGHQの教育担当者が、趣味だったフォークダンスをマイムマイムの曲と共に取り入れ、広めたことがきっかけだそう。歴史とは実に面白い。

残念ながら、マイムマイムと比べると日本での知名度が低い『Hava Nagila』ですが、こちらはフォークダンス舞曲として知られているだけでなく、ユダヤ教徒の結婚式や成人式など、めでたい時によく歌われる曲らしいです。

この民謡は、チャランポランタンの他にも多くのアーティストによってカバーされており、

世界で活躍する日系アメリカ人EDMアーティスト、音楽プロデューサーであるスティーブアオキも、トランペットを使ったバキバキの『Hava Nagila』でカバーしています。

いや、カッコいい、、、

スティーブ・アオキのことは、EDMを聞く人ならご存知かもしれないですね。彼のアルバム『Wonderland』はグラミー賞にノミネートされた経験もあります。

そして彼は、ライブ中にケーキを投げることで有名なのです。

投げたケーキがヒットして喜ぶビキニ姿の女性と興奮する周りの観客……笑

ハバナギラの他のバージョンとして、歌詞付きのものと、実際にフォークダンスに合わせて演奏された動画も置いておきます。この2つの方がノーマルに近いモノです苦笑


聞けば聞くほど、この独特の雰囲気が頭の中から離れずぐるんぐるんしてしまいますよね。

そんなイスラエル民謡をカバーしているのは、アーティストだけではなく…サッカークラブのサポーターが応援歌として歌っている例もあります。


そのクラブの1つが

そう、マンチェスターシティだったのであります。

と、いうわけで、


最初からすごい話のズレ方をしていますが、前書きの伏線は後ほどちゃんと回収するとして…

今回のテーマは、マンチェスターシティというクラブの歴史を振り返る上では欠かせないこちらの話題…

マンチェスターシティとバナナ風船の関係について

2019年7月27日。マンチェスターシティが、日産スタジアムで横浜F・マリノスと親善試合を行いましたね。何を隠そう、筆者はその試合で、ペップに応援を褒められ、BBCに横断幕を称賛され、横断幕企画に賛同し、チャント集の制作と配布をし、シティ公式などメディアに登場し、飯倉選手の挨拶中に歌を歌ってしまった…全てに関係する中の1人でした。

日産スタジアムでは、ミニラッパにトラメガ、「No, Vinny, No」のバナー含む横断幕2枚、そして、インフレータブル式のバナナを持ってゴール裏最前列で応援していました。

このインフレータブル式のバナナ、いわゆるバナナ風船は、買ったものではありません。2018年5月にシチズンの抽選に当選してマンチェスターへ行き、シティの優勝パレードに参加した際に、シティ公式から配布されたものです↓


では一体、

なぜマンチェスターシティの応援にバナナ風船を使うのか?どんな関係があるのか?なぜ筆者は日産スタジアムでバナナ風船を掲げていても追い出されなかったのか?

諸説ありますが、そのルーツは、1980年代まで遡ります……


まず、そもそもの話として、80年代のイングランドフットボール界の状況は、今と比べるとあまり芳しくありませんでした。試合内容のレベルは低く、ピッチ外ではフーリガンが度々問題を起こし、1985年には、暴徒化したリバプールファンによってヘイゼルの悲劇が起きてヨーロッパの大会から締め出されるなど、イングランドフットボール界全体の空気も悪く、人気も今ひとつだったそうです。

また、この時代のマンチェスターシティも冴えておらず、昇降格を繰り返すジェットコースタークラブと化していました。方やお隣のユナイテッドは、ファーガソンが就任し、栄光の時代へ進みつつあった中、正しい方のマンチェスターのクラブであるシティは、タイトルから大きく遠ざかっていました。それどころか、3部降格も経験し、財政面でも苦しむなど、暗黒期に入っていたのです。

そんなシティを支えていたのは、イングランド屈指の熱心さと温かさ、そしてユーモアの持ったマンキュニアン…シティサポーター達だったのでした。

そして、そのシチズンが火付け役となって起こったのが、バナナ風船を含めた「The Inflatables craze(インフレータブルブーム)」。これが、イギリスの天気のようにどんよりひんやりしていたイングランドフットボール界に明るさとユーモアを与えたのです。

イングランドフットボールの歴史において、初めてスタジアムにバナナ風船が登場したのは、1987年8月15日。メインロードで行われた87/88シーズンの開幕戦、プリマス・アーガイルFC戦でした。

この試合でスタジアムにインフレータブルバナナを持ち込んだのは、シティサポーターのFrank Newton(フランク・ニュートン)さん。

上の写真の人がニュートンさん。特段有名な人というわけでもなく、普通のシティサポーターの1人でした。

彼とバナナ風船との出会いは1987年夏。シーズン開幕前に、ニュートンさんが友人のAllen Busbyの家に遊びに行ったときのことです。この友人は、おもちゃやガラクタを集めるのが好きだったそうで、彼の家の中には様々なモノが散らばっていました。

そしてその中に、約160センチのバナナ風船があったのです。

これを見つけたニュートンさんは、こう考えました。

「このバナナ風船を、メインロード(旧シティの本拠地)に持っていって振り回したらウケるんじゃね?知らんけど。」(英文資料意訳)

そして、スタジアムで掲げた証拠を写真に撮るという条件を交わし、大きなインフレータブル式のバナナをその友人から借りたのでした。

約束通り、メインロードにバナナ風船を持っていったニュートンさん。周りのファンからのウケは凄く良かったそうで、バナナにユニホームや帽子、顔の落書きが加えられたそうです。

そして、ウケが良かったからか、ニュートンさんは、プリマス戦の後もバナナ風船を応援グッズとしてスタジアムに持っていき、その度にサポーターの笑いを誘っていました。雨にも負けず風にも負けず、つまらない試合内容の時にもめげず、彼はバナナ風船を振り続け、スタジアムにユーモアをもたらしハッピーを注入し続けていました。

87/88シーズンも冬場の戦いに差し掛かった頃、すっかり巷で有名になっていたニュートンさんのバナナ風船。

それが彼だけでなく、他の多くのシティサポーターもスタジアムに持ち込み、ブームのきっかけとなったのは、

当時、シティに所属していたストライカー、イムレ・バラディ(Imre Varadi)でした。

16クラブを渡り歩いたイングランド人FWは、1986年から1988年までマンチェスターシティに所属。65試合に出場し26得点と、ボニーやヨベティッチよりも優秀な成績を残しています。

そして、そんな彼のチャントの原曲こそが、冒頭に書いたイスラエル民謡『Hava Nagila』だったのです。

(シティサポがチャントとして歌っている動画がなかったので、代わりにアヤックスサポーターが歌う応援歌風の『ハバナギラ』を。アヤックスがハバナギラを歌う理由は、ユダヤ系のクラブだからという一言で終わらせておきます。ここを掘り始めると本が出版されているくらいキリがないので…)

残念ながら、何故イムレバラディのチャントにHava Nagilaの曲が使われたか?についてや、チャントの歌詞についての正確な情報はどこにも載っていませんでした。おそらく語呂が良かったのと、ハバナギラがイギリスとも関係しているという背景を考えれば、原曲自体は知られていてもおかしくはないですが……これをチョイスするシティサポのクセの強さよ。

イムレ バラディ

ハバ ナギラ

『ハバ・ナギラ』の歌詞の部分を『イムレ・バラディ』と歌うと『ディ』発音時間が短くなりますよね。カタカナ表記するなら『バラディー』ではなく『バラディ』と言ったところでしょうか。

とにかく、ハバナギラに載せたイムレバラディチャントが歌われていたことは間違いなさそうです。

そして、このチャントが歌われているうちに、ある日、突然変異が起こったそうです。

それは1987年11月に行われたウェストブロム戦でのこと。

あるファンが、チャントを歌っている時に、これまた軽いノリで『バラディ』の部分を『バナナ』と言い換えて歌い始めたんだそうです。そして、これまたウケが良かったからか、サポーターの間で『イムレ・バラディ』のことを愛情を込めて『イムレ・バナナ』と呼ぶようになっていったのです。

その次の試合から徐々に、ニュートンさんと同じくインフレータブル式のバナナをスタジアムに持ってくるサポーターが現れるようになりました。87/88シーズン最終節のクリスタルパレス戦の前には、Mike Kellyという人が編集した、いわゆる同人誌City Blue Printの雑誌内で「みんなでバナナ風船を掲げよう」と呼びかけ、50〜60のインフレータブル式バナナがスタジアムで振られました。


動画によれば、シティの公式ショップでも大小2種類のバナナ風船を販売していたそうですね。

ちなみに筆者は、2019年の9月にもマンチェスターへ行き、コンパニの表彰試合を観戦しましたが、その時には、バナナ風船こそ売っていなかったものの、上のようなTシャツが販売されていました。当時から、シティ公式もこのサポーター達の動きを好意的に受け止めていたようです。

その後、バナナ風船を含むインフレータブルブームは、1988/89シーズンに爆発的にバズりました。

スタジアムには、バナナに限らず、サメ、フランケンシュタイン、クロコダイル、恐竜、たばこなど…様々な形のインフレータブルが持ち込まれ、塩試合の時には、試合内容よりも風船同士で遊ぶサポーター達のコントに近いやり合いの方が盛り上がったこともあったそう。

BBCでも取り上げられたインフレータブルブーム。時には千単位のバナナ風船がスタジアムで掲げられたこともあったんだそうです。

そして、バナナ風船の数は試合毎に増え続け、1988年のボクシングデー(12/26)に行われたストーク戦で、このブームは最高潮に達しました。

この試合では、2.4万人収容のストークの本拠地に対して、なんと1万2000人を超えるシティサポーターが様々な風船(インフレータブル)を持って乗り込んだそうです。アウェイの試合にも関わらず、2つのサイドスタンドをスカイブルーのサポーターで埋め尽くし、多くの黄色い風船が掲げられただけでなく、選手たちもバナナ風船を持って入場してきたんだとか。

なお3部リーグの試合ということもあってか、ストーク側はホームジャックされるほどのシティの観客の数に喜んでいたようです。

さらにこのブームは、シティだけに留まらず、他のクラブにも広がっていきました。例えば、ストークはピンクパンサー、ハマーズはハンマー型の風船が販売されるなど、バナナ風船を含めたインフレータブルブームは、88/89シーズンが進むにつれてブレードブリテン島全体に拡大していきました。

シティが2部昇格を決めた最終節のブラッドフォード戦でも、アウェイ席に多くのバナナが振られていました。下の動画は、このブームの最後のハイライトと言って良いでしょう。


こうしてイングランドフットボール界に広がったバナナ風船ブーム。

1人のシティファンの遊び心から始まり、シティサポーターが広げていったことで、

1980年代に深刻な問題となっていたフーリガンやヘイゼルの悲劇、そしてそれに伴いフットボール界に付き纏っていたネガティブなイメージに対し、

明るさとユーモアを持った新しい風を吹き込み、フットボールに楽しさを取り戻していきました。

シティサポーターが始めたこの応援スタイルが、イングランドフットボール界を良い方向に動かしたのです。

マンチェスターシティサポーターとして掲げる「バナナ風船」は、それだけ大きな…重要な意味が隠されています。

諸行無常の響きあり。ブームというものは過ぎ去ってしまうもので、89/90シーズンからは、バナナ風船をスタジアムで見る機会はめっきり減ってしまいました。その理由の1つとして、アーセナルを始めとする一部のクラブが、「バナナを掲げるのは人種差別だ!」「バナナが試合を妨害している」など、知識不足による誤解によって生まれた変な正義若しくはただの嫉妬から難癖などを付けて、スタジアムにインフレータブル式のバナナを持ち込むことを禁止したことが大きく影響したと言われています。うむ。既視感。

そこから今日に至るまで、インフレータブルをスタジアムで見かける機会は珍しくなってしまいました。しかし、シティの試合では、カップ戦などを中心に、時々バナナ風船が復活しています。

頻度や数はブームの時ほどではないと思いますが、今でもマンチェスターシティの応援グッズとして、公式やサポーターグループ、個人が、バナナ風船などを持ち込んでいます。

2017/18シーズンには、SNS芸人・副業プロサッカー選手のメンディが、シティのことを「Shark team」と表現したのをきっかけに、エティハドにサメのインフレータブルが復活したことは、記憶に新しいでしょう。

勝点100を達成した17/18シーズンの優勝パレードでは、フラッグやバナナ風船とともに、大量のサメがシティ公式から配布され、選手スタッフとともに喜びを分かち合いました。

今でもエティハドスタジアムのお客さんをよく見ると、たまにバナナ風船を持ったサポーターを見つけることができると思います。

そして2019年7月…

日出ずる国で行われた親善試合でも……


この試合で筆者は、

マンチェスターシティへの愛を込め、

横浜の空高くインフレータブル式のバナナを掲げましたとさ。

おしまい。

ではまた。

参考文献

http://www.worldfolksong.com/sp/songbook/israel/hava-nagila.html

http://www.worldfolksong.com/sp/songbook/israel/mayim-mayim.html

http://mcivta.com/bananas/

Gary James著書『Manchester City FOLKLORE』https://www.amazon.co.uk/Manchester-City-Folklore-Every-Needs/dp/1999900820

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