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中小企業診断士に数学は必要ですか?

2021年度の大学入試では早稲田の政経で数学が必須になったことが話題になりました。診断士一次試験(ちなみに、今週末8/21・22ですね)の経済学の試験でも、微積分の問題が出たりします。では、実際の診断士活動では数学は必要なのでしょうか。

私としては、

好きなところから学ぶことが出来る社会人の特権を活かして、統計処理などで数学を使う場面に出会ったら必要な計算ができるようになっていればよい。
高校数学のように、体系的に数学を学ぶまでは行かなくて良い。

と思っています。

体系的な数学に挑戦して苦手意識を持つくらいなら、必要になったときだけ使えるようになるのが良いのではと思います。

どうしてこう思ったか

数学は便利に使える道具だと思うのですが、「これからはどんな分野でも数学が必須、数学が出来れば万事OK」という道具の域を超えた数学崇拝のような意見には違和感を感じます。そして、昔読んだ本の一節を思い出します。物理学専攻なのに数学が苦手な私を救ってくれた「物理数学の直感的方法」という本の序文に書いてあることで、当時とても腑に落ちたので、長いですが引用します。

 例えばの話である。あなたが教室の中に入ると、机の上に長さ10cmほどの竹片とカッターが置いてあり、先生がその竹片からカッターで非常に細い棒状の一片を切り出すように言ったとする。
 どういうつもりなのかはよく分からないが、とにかく言われた以上、そうするしかない。そしてカッターを取り上げ、何度か失敗した後、ようやくそれに成功する。
すると次に先生は、それをバーナーで燃やして黒焦げの糸を作るように言う。依然としてそれが何を意味するのか分からないが、やはりそうするしかない。ところが黒焦げの糸は作ったそばからぼろぼろくずれてしまう。くずれてしまったなら、再び前の工程に戻って最初からやり直さなければならない。
 こんなことを3回も繰り返そうものなら、もうあなたの神経は忍耐の限界を超えてしまうだろう。この場合、作業の難しさもさることながら、フラストレーションの主たる源は、先生が初めに、これから作るものが初期の白熱電球のフィラメントなのだと言うことについて、一言コメントしておいてくれなかったことにある。大学の数学の講義というのはえてしてこのようなものであり、一体何のためにそういうことを行うのかについて、あまり明確に語ってくれないのである。
 不満はこれだけにとどまらない。目的ばかりでなく、概念自体のあら筋だけでも説明してくれれば、学ぶ側としてもずいぶん楽なのだが、大部分の先生はそれをしようともしない。
 しかしそれをしない理由は、単に不親切や無能力のためではなく、何よりも厳密さというものを絶対的に尊ぶべしという、近代数学の掟に起因する。複雑な概念を大雑把なあらすじにまとめようとすれば、その過程で厳密さをあらかた犠牲にしなければならないからである。

つまり数学は理論の厳密さを最重視するので、本質的に初学者には優しくない特性を持っていると思います。崇拝的に強要するのもよくないですし、道具としておうと思う前に挫折するのもある意味当たり前なのです。

また、上の竹炭のフィラメントはエジソンのエピソードですが、エジソンは竹のフィラメントを発見するまでに、様々な材料を試していました。この実験は材料選びの過程は行わず、一気に目的地まで至る道をなぞっています。数学も過去の学者の様々な試行錯誤があったと思いますが、その過程は語られないため、初学者には唐突感があり分かり難くなっていると思います。

数学はあくまで道具なので使えれば良いのです。
エンジンの仕組みを詳しく知らなくても車の運転は出来るのと同じです。
まずはこう考えることで、苦手意識を持つ人を作らないのがよいのではと思います。

最後に本を紹介します。

「物理学数学の直感的方法」はこちらです。いつの間にかブルーバックスになっていました。

同じ著者の「経済数学の直感的方法」もおすすめです。今読んでいるところです。経済学の本質に迫れるような気がします。


IT系企業に所属する企業内診断士です。